転轍器

古き良き時代の鉄道情景

ヨンヨントオ前夜

 汽車の写真を撮り始めて初の10月がやってきた。10月は国鉄ダイヤ改正の月、鉄道に対して何の情報もなかったあの時代、地元新聞の「蒸機また消えるー」の見出しに踊らされて昭和44年9月30日の放課後は一目散に蒸機基地へと自転車を走らせた。

f:id:c57115:20200602211802j:plain

【写真①】手前から由布院行648レを牽くD6060〔大〕と由布院行646レを牽くD6071〔大〕。左後方、テンダのライトを照らすのは熊本から貨物を牽いて来た59653〔大〕。右奥に機関車搭載用の砂の乾燥小屋が見える。

 ヨンヨントオの前日、大分運転所の給炭線はいつものようにD60とC58が数珠つなぎになって出庫を待っていた【写真①②】。数コマのネガからこの日の様子を再現すると、給炭線転車台寄りから化粧煙突の美しいD6060〔大〕とD6071〔大〕が並び、その奥にC58112〔大〕が待機していた。給炭線のもう1線にはD519〔延〕が方向転換を済ませて待機【写真③】。給炭線となりの通路線には熊本から貨物を牽いて下って来た59653〔熊〕と構内入換小休止の58689〔大〕が頭を寄せあって待機【写真④】。59653〔熊〕はテンダのライトを、C58112は前照灯を点灯【写真⑤】。熊本からのキュウロクが入庫しているので時刻は17時ちょっと前といったところか…。この時刻以降の列車牽引機が今給炭線に並んでいる。 大分運転所 S44(1969)/9/30

f:id:c57115:20200602211847j:plain

【写真②】写真➀から給炭槽の下に近づきD6071〔大〕を見る。2つのたよりない照明が夕刻の機関区風景の雰囲気を盛り上げてくれる。

f:id:c57115:20200603064321j:plain

【写真③】給炭、給水完了したD519〔延〕が黒煙を上げる。電気機関車の牽く下り貨物列車が到着した頃牽引機交替でおもむろに出庫していくのであろう。

f:id:c57115:20200602212213j:plain

【写真④】熊本から下って来た59653〔熊〕はこれから転車台へ向かうところか。前日までは到着後直ちに転向し豊後竹田行旅客を牽く運用であったが、ヨンヨントオ以降は豊後竹田往復から幸崎小運転へと変更された。手前は58689〔大〕。

f:id:c57115:20200602212303j:plain

【写真⑤】C58112〔大〕は煙を噴き上げて今にも動きださんばかりである。日豊本線下り幸崎行1533レを牽くものと思われる。ガントリークレーン誘導レール脇に建つ電柱形のたよりない照明灯や水が滴るスポートは蒸気機関車のある風景には欠かせないアクセサリーである。

f:id:c57115:20200602212342j:plain

 給炭線の賑わいを暗くなるまで見届ける。扇形庫ではこの日の出番のない罐たちが静かに息づいていた。 扇形庫背面からD6065〔大〕を撮る。後方、転車台の向こうは電気機関車が停まっているのが見える。電化前はその位置に初代の扇形庫が建っていた。ヨンヨントオで蒸気機関車が1輛も減らないことを願いつつ蒸機基地を後にした。