転轍器

古き良き時代の鉄道情景

遠軽スケッチ

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 遠軽石北本線名寄本線の接続駅で、石北本線新旭川方と網走方がスイッチバックしている。遠軽機関区は駅の裏手の岩山に遮られたわずかなスペースに扇形機関庫が配置されて駅の跨線橋から手を伸ばせば届きそうな距離に感じられた。客車とチップ積貨車の向こうにD51444とDD1533が待機しているのが見える。遠軽機関区はD51・9600・DE10・DD15・キハ22が配備されたこじんまりとした機関区だった。 遠軽 S49(1972)/9/12

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 北遠軽寄りから活気あふれる構内を見る。画面左寄りは2面5線のホーム、右側は操車場然のヤードが広がり、キュウロクが入換に精を出している。

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 遠軽機関区には7輛の9600が配置されていた。この時常紋越えの補機はDE10に置換わっていたようで、遠軽や中湧別の入換、名寄本線・渚滑線・湧網線で運用されていたものと思われる。49699〔遠〕はランボード一直線ですっきりとした右サイドに見える。

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 名寄と遠軽を結ぶ名寄本線は名寄機関区と遠軽機関区の煙室扉ゼブラ塗りのキュウロクが牽く数往復の貨物列車が設定されていた。興部や渚滑、紋別や湧別など独特の駅名が気になる線区でもあった。69620〔遠〕がドラフト音を響かせて名寄行貨物列車を牽いて来た。 1692レ 名寄本線遠軽遠軽 S49(1974)/9/12

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 名寄8:23発遠軽11:46着1623D キハ22108〔旭アサ〕他 名寄本線遠軽遠軽 S49(1974)/9/12

留辺蘂

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 「るべしべ」ー何という名前、何という響きだろうか。聞いたこともない、どこにあるのかさえ知らなかったが、この駅に下車した理由は留辺蘂ユースホステルに泊まるためであった。夜行列車疲れで駅の印象は名前だけ強烈で後はあまり記憶に残っていない。コンクリート駅舎の屋根にこれもまた聞いたことのない「温根湯温泉郷入口」の看板が掲げられている。登別や洞爺しか知らなかった私はその後の北海道の知識として見聞が広まったと自己満足している。一葉の写真が記憶のよりどころとなっている。 石北本線留辺蘂 S49(1974)/9/12

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 駅舎から振り返って駅前風景を撮っていた。温泉郷へは駅からバスが連絡していたのであろうか。山間に位置する温泉地へは国鉄駅からバスや私鉄に乗換えて向かうといった所はあちこちで見られた光景と思う。

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 留辺蘂の構内は広かった。2面のホームと駅舎の間に貨物線があり、D51346〔北〕が入換を行っていた。 1591レ 石北本線留辺蘂 S49(1974)/9/12

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 北見行貨物列車は入換が終わり出発合図を待っている。ここ留辺蘂旭川と網走を結ぶ石北本線の駅ではあるが、鉄道建設の過程で複雑な歴史があることを知る。北見山地を越える新旭川遠軽間が開通するまで札幌から網走に向かうのは滝川、池田、北見を経由し、池北線は以前網走本線と呼ばれていたことを知る。その後オホーツク回りの名寄、遠軽留辺蘂、北見を通る名寄線、湧別線が建設され網走までの距離は若干縮まっている。北見から湧別まで建設される際留辺蘂は重要な結節点であったようだ。名寄ー遠軽ー北見の線形は網走に向かって直進で、その後新旭川からの石北線が北見側から遠軽に接続したため向きを変える必要が生じ、遠軽スイッチバックの理由を改めて知った。

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 札幌から網走まで3通りの道程を顧みる。根室本線、網走本線経由で483.8㎞、名寄、遠軽経由で464.3㎞、石北線経由で374.5㎞と大幅に短縮されている。手持ちの昭和31年の時刻表を開くと函館発網走行列車が設定され約16時間を要していた。大正末期名寄線が全通した際は名寄、遠軽経由で函館網走間は約29時間を要していたようである。昭和49年の時刻表では函館発網走行特急“おおとり”は10時間で結んでいた。留辺蘂駅での写真をきっかけに遠い時代に触れられたことは何よりの収穫であった。ただ蒸機を撮ったあの時代から46年、年をとったからであろう、遠い時代にロマンを感じるようになった。

夕張線

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 雨上がりの紅葉山へ降り立つ。「安全第一」が掲げられた煤けて歴史を漂わせる跨線橋が出迎えてくれる。2輛編成のキハ22は追分発夕張行729D。後方はセキ6000が長蛇の列を連ねて待機している。本屋につながる上りホームは三々五々人が集まり始めた。駅長が上り追分行の到着を待っている。手前の電柱に「もみじやま」の琺瑯看板がおぼろげに写っていた。 夕張線紅葉山 S49(1974)/9/10

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 セキ6000の長蛇の列の先頭に立つのはギーゼルエジェクタ装備のD51349〔追〕であった。気動車列車の交換を待って発車する。後方の整備された築堤は石勝線の路盤で隧道も完成済のようであった。 5793レ 夕張線紅葉山 S49(1974)/9/10

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 D51565〔追〕が夕張行セキ6000返空編成を牽き出す。北海道の機関車は回転式火の粉止めが付いているので煙突が若干長く見える。 6785レ 夕張線紅葉山 S49(1974)/9/10

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 紅葉山は不思議な駅であった。下り列車で降り立つと跨線橋を渡って本屋側のホームへ出る。普通であればここで改札口を出るのであるが、ここ紅葉山はさらにホームのスロープを下って平面横断でヤードに並んだ幾本もの線路を渡って駅本屋へ辿り着く構造になっていた。訪問時ヤードには貨車はごくわずかであったが、全盛期は滞留貨車で埋まるヤードを横切って乗場に向かう光景が繰り広げられていたのであろう。構内夕張寄りにはアメリカンスタイルの給水塔が鎮座し、木造の跨線橋と共に運炭線全盛時代の面影が漂っていた。

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 紅葉山から楓、登川までの支線は時刻表では夕張線と記載されている。当時この盲腸線は通称で登川支線と呼ばれていたように記憶している。登川からの石炭輸送で敷設された長い歴史があるようだ。キハ22の運用は追分発の編成から分離し単行で往復の後夕張までの併結を繰り返し、最終で追分に戻っていた。 836D キハ22216〔札サウ〕 紅葉山 S49(1974)/9/10

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 D514〔追〕が力行で川端を通過、石炭満載のセキ編成が続いて駆け抜ける。 5782レ 夕張線川端 S50(1975)/9/12

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 D51916〔追〕は前年に宗谷本線塩狩で会った機関車で名寄機関区所属機であった。夕張線蒸機最後のこの年は追分機関区に転属していた。 1792レ 夕張線川端~滝ノ上 S50(1975)/9/12 

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 蒸機終焉のこの年、夕張川沿いを行くD51の貨物列車は石炭輸送をこなす日常が続いていた。夕張川を渡るD51710〔追〕はセキ編成の前にトラ数輛を従えてやって来た。 5797レ 夕張線川端~滝ノ上 S50(1975)/9/12 

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 国鉄蒸気機関車が牽引する営業列車の最後は、旅客列車が昭和50年12月14日室蘭本線のC57135、貨物列車が12月24日夕張線のD51241であった。現地では蒸気終焉の実感は湧かないまま離道したが、最後の走行線区に立ち寄れたのは実に幸運であったと経年とともに思うようになった。

勇払平野

 日本地図帳の北海道を広げ、46年前に自分が立った位置を確認してみた。道央に広がる石狩平野は北は石狩湾から南は苫小牧沖の太平洋にかけて緑色で示されている。当時憧れた室蘭本線千歳線が交差する場所は勇払平野と記されていた。室蘭本線を乗り越す千歳線上り線の丘陵地帯から沼ノ端方向を遠望すると限りなく続く湿原が地平線のように見え、苫小牧の臨海工業地帯が蜃気楼のように浮かぶ光景が思い出される。雄大な景色を味わう間もなく次から次へとやって来る蒸機列車にただ、ただ圧倒された場所であった。

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 C5738〔岩一〕の牽く岩見沢長万部行224レ 室蘭本線沼ノ端~遠浅 S49(1974)/9/11 

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 D51483〔滝〕の牽く上り貨物列車は釧路から根室本線を走破し、滝川、岩見沢を継走して東室蘭操車場へと向かう。外側から千歳線上り線が迫っている。 4482レ 室蘭本線沼ノ端~遠浅 S49(1974)/9/11 

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 室蘭本線の複線と千歳線下り線が並んでいる。貨物列車後方の勾配は勇払川の土手であろうか。 D511160〔岩一〕 室蘭本線沼ノ端~遠浅 S49(1974)/9/11 

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 C57135〔岩一〕牽引の室蘭発岩見沢行227レを見送る。千歳線側の築堤から望む光景は平原が広がるいかにも北海道らしい雄大な景色であった。 室蘭本線沼ノ端~遠浅 S49(1974)/9/11 

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 岩見沢発室蘭行226レ 室蘭本線沼ノ端~遠浅 S49(1974)/9/11 

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 視界に千歳線を行く長大編成が入ってきたので慌ててカメラを向ける。列車は函館発札幌行“すずらん1号”と思っていた。今になって改めて当時持参した時刻表を開くと、“すずらん1号”は6203D、運転日指定で9月10日までの運転と記載されていた。さらにグリーン車なしで運転と付記されている。写っている車輛にグリーン車は見当たらない。撮影日は9月11日でこの列車は何?という新たな疑問となった。5分後続に室蘭発札幌行“ちとせ5号”があるがこちらはグリーン車マークが付き、編成もこんなに長くないと思われる。 千歳線沼ノ端~植苗 S49(1974)/9/11 

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 室蘭本線と同じ方向に進んでいた千歳線下り線は一気に向きを変えて急勾配を登り、複線の線形になるように優雅な弧を描いて上り線へ近づこうとしている。 千歳線沼ノ端~植苗 S49(1974)/9/11  

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 地平線の向こうに蜃気楼のような工場地帯の煙突が見える。長い直線区間の複線に前方から対向列車が迫ってきた。 2460レ 室蘭本線沼ノ端~遠浅 S49(1974)/9/11

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 対向する2本の列車はかなり長い時間、ファインダーの中で追うことができた。室蘭本線ならではの光景であろうか。 6371レ 室蘭本線沼ノ端~遠浅 S49(1974)/9/11

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 貨物列車が長い直線コースの先に見えてから接近するまでかなりの時間を要している。D51467〔岩一〕がチップ積載のトラ90000が10輛連なる編成を牽いて来た。 6371レ 室蘭本線沼ノ端~遠浅 S49(1974)/9/11

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 D5159〔岩一〕の牽くとてつもなく長い貨物列車がやって来た。木材満載のチキやトキが連なっている。 8276レ 室蘭本線沼ノ端~遠浅 S49(1974)/9/11

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 C5757〔岩一〕が牽く室蘭行228レが発車待ち。C5757はこの年の夏、苗穂から岩見沢第一機関区へ移っていた。後方は岩見沢駅本屋とテルハが写っている。 岩見沢 S49(1974)/9/17

札幌

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 当時の札幌市は人口約120万人の大都市で、その玄関口の札幌駅は鉄筋5階建の威容を誇っていた。駅前に出て儀礼的に撮った唯1枚のスナップは遠いあの時代の良き思い出となった。 札幌 S49(1974)/9/16

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 「弘済会の道内時刻表」の札幌駅案内図。国鉄バスのりばの行先案内は詳細に書かれているが、構内の番線表記は0番と6~9番までの記載はあるもののそれ以外は白紙状態で方面案内もなく、アンバランスな図である。0~7番は千歳線函館本線、8~9番は札沼線というところであろうか。

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 DD51617の牽く長い長い上り貨物列車が3番線を通る。札幌は他の大きな駅で見かけるホーム間の貨物中線はなかった。 札幌 S49(1974)/9/16

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 朝日を浴びて4番線で待機する網走行1031D“オホーツク”7輛編成。道内時刻表に掲載された主要駅間キロ程表によると、札幌~岩見沢40.6、岩見沢~滝川42.9、滝川~旭川53.3、旭川遠軽124.5、遠軽~網走113.2と記されている。 札幌 S49(1974)/9/16

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 札幌7:37発函館行22D“北斗1号”7輛編成が1番線から発車した。道内時刻表に掲載された主要駅間キロ程表によると、札幌~沼ノ端62.4、沼ノ端~東室蘭66.8、東室蘭長万部77.2、長万部~函館112.3と記されている。函館11:55着 札幌 S49(1974)/9/16