転轍器

古き良き時代の鉄道情景

門鉄デフのD51

D51949〔延〕 大分運転所 S45(1970)/5
 南延岡機関区唯一の門鉄デフ装備機D51949〔延〕を捉えていた。前機のテンダで顔が一部隠れているのが残念、ネガを見るとフィルム最終コマで前機D511142〔延〕と各1枚ずつしか撮っていなかった。給炭線にそれぞれ下り向きで並んでいるということは出区前で下り貨物は重連だったのかもしれない。門鉄デフのD51949を見ると日頃デフに隠れて見ることのない給水温め器回りの送水管や排水管の配管がいかめしく映る。ボルトで固められたシンダエプロンは精悍な顔を作っているように感じる。撮影後一度本線上で貨物牽引の姿を見ただけでその後は会うことなく昭和47年5月に廃車となっている。

D51272〔厚〕 厚狭 S47(1972)/8/11
 本州で相まみえた門鉄デフ機は元熊本の罐だった。元々は広島局の罐で、熊本へ転属した際に門鉄デフに取り換えられ、鹿児島電化が成った昭和45年9月に厚狭へ移ったようだ。デフ前寄りの斜めステイのところに補強板のようなものが見える。

D51918〔門〕 日田彦山線採銅所~香春 S48(1973)/3/30
 この機関車のデフは遠目からは通常形を縁を残して下半分をくりぬいたように見える。デフの前方支柱がデッキに一直線に伸びているのが独特であった。

D51375〔門〕 日田彦山線採銅所 S48(1973)/3/30
 採銅所での対向列車は返空のホキ3500を連ねた編成をD51375〔門〕が牽いていた。

D51783〔門〕 日田彦山線石原町 S48(1973)/3/30
 この機関車のデフは先端が斜めにカットされて、少し前寄りに傾いているように見える。日田彦山線ではこの日3輛のD51門鉄デフ機と会っていた。

津久見行593レを牽くD5112

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 593レ仕業の機関車はD5112〔延〕。出区前の打合せを行っている。 大分運転所 S46(1971)/8

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 誘導掛の案内でD5112〔延〕出区。複雑な大分構内を縦断して593レの先頭へ。機関車基地の先端からは「明日は今日にまさるよう」の安全標語が見える。 大分運転所 S46(1971)/8

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 593レは門司(操)発津久見行普通貨物列車で大分11:47発。津久見列車番号は変わり3599レとなって都城まで進む。津久見到着後は入換と小野田セメント専用線にも入って行くものと思われる。 大分 S46(1971)/8

益田

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 山陰本線から日本海の景色を見たくて特急“まつかぜ”小倉~新大阪間の切符を用意し楽しみにしていた。乗車の前日になって西九州から日本海に抜ける台風が通過、山陰本線は寸断され“まつかぜ”乗車はかなわなかった。その後も山陰には縁遠く島根県に足を踏み入れたのは国鉄駅でいうと益田と津和野の二度だけである。益田駅山陰本線山口線のジャンクションで、鉄筋コンクリート2階建ての駅舎は風格さえ感じられた。タクシーの島根ナンバーで山口県から県境を越えたことを意識する。 益田 S52(1977)/8/7

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 キハ26151〔広コリ〕の列車は発車待ちのようで、サボは「小郡ー益田」と読め、山口線小郡行と思われる。山陰本線は本屋寄り1番線が下り、跨線橋で渡る島式ホーム3番線が上りで2番線が山口線の割付かもしれない。 益田 S52(1977)/8/7

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 改札口を出てみると切妻形のキユニ191〔広コリ〕から荷物が降ろされていた。郵便荷物輸送は山陰本線は客車列車が多数走っていたので、この列車も山口線からの到着と思われる。益田駅の立ち寄りはわずかな時間で残念ながら写真はこれだけしか撮っていない。浜田客貨車区益田支区のある広い構内は活気がみなぎっていたにちがいない。 益田 S52(1977)/8/7 

キハ80系“にちりん”編成の変遷 昭和43年10月~55年9月

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 キハ80系“にちりん”は昭和43年10月登場から電車に置き換わる昭和55年9月まで約12年間運転された。これまで編成について気にとめることもなかったが、かつて撮影したD511081の写真(転轍器2022年4月9日掲載)の後方にキハ80+キハ82が写っているのに気づき、この2輛は何なのか時刻表を遡って調べることとなった。(日付は手持ちの時刻表の発行月)

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 国鉄ダイヤ全面大改正と呼ばれたヨン・サン・トオで九州内特急“有明”に次いで日豊本線回りの“にちりん”が誕生した。時刻表の編成図は食堂車は当面欠車と記されている。当時電車化で捻出されたキハ80系で新たな編成が組まれたが、食堂車だけは他線区との兼合いで間に合わなかったようだ。

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 昭和45年10月、鹿児島電化によるキハ80系の捻出で“にちりん”は隔日の増結が行われるようになった。増結車キハ82+キハ80は下り向きに連結され、博多~鹿児島間全線の運用であった。写真にたまたま写っていた大分でのキハ82+キハ80は何かの事情で外されたものではないかと考えられる。

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 号車番号は通しになったが、9輛編成の運用にはまだ鹿児島運転所のキハ80系の必要輛数が揃っていないのか、隔日の増結は継続されている。

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 昭和47年10月改正で鹿児島運転所にキハ80系が増備されて“にちりん”の変則運用は解消された。この時、編成の向きが変わり晴れて9輛編成となった。キハ82+キハ80の連結位置は上り向きに変わった。

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 昭和48年3月、鹿児島運転所のキハ80系は24輛が配置されていた。想像ではあるが、9輛編成2本が組めて予備車も揃って通年9輛編成が可能となったものと思われる。キシ8016・17は昭和43年以降に鹿児島に来ていることから“にちりん”投入用であったと思われる。キシ8017はその後他区へ転じた模様。キハ80901はキロ80からの改造車で外観はグリーン車の窓配置であった。

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 特急“にちりん”7+2、9輛編成の素晴らしい写真を「G鉄グラフィティ」さんからお借りした。南宮崎電化目前、消え行く蒸機にしか目が向かなかったあの頃、気動車特急の編成美を見事に捉え、記録されたG鉄さんに敬意を表したい。 4011D“にちりん1号” 日豊本線幸崎~佐志生 S48(1973)/9 撮影:G鉄さん

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 “なは”と併結運転の大阪~宮崎間“日向”は、“なは”の電車化で南宮崎電化までのわずかな期間、単独運転となり編成も増強された。電化とともにキハ80系は余剰が出て向日町から鹿児島への転属車は新たな肥薩線経由の特急に充てられることになる。

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 南宮崎電化後、“にちりん”編成はこの時誕生した“おおよど”と共通運用となり、食堂車が外されて7輛編成となった。昭和50年3月改正は列車番号が変わっただけで編成に変化はなく、55年10月改正前まで運転された。

 改めて編成をひも解いてみると、車輛の都合や運用の流れで多様な変遷を辿ってきたことを思い知らされた。そしてまた、DF50やD51が闊歩したのと時を同じくして華麗なキハ80系9輛編成が舞っていたとは、在りし日を思わずにはいられない。

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D511081

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 汽車の写真撮り始めの頃は、豊肥本線久大本線では見ることのない日豊本線のコンテナ編成が憧れの的であった。黒一色の貨物列車の中でライトグリーンのコンテナを積んだコキはとても斬新に映った。コキ車4輛で迫力はないが、それでも本線の貫禄を感じたひとコマであった。時々最後尾の車掌車がグリーンの黒ずんだヨ5000を見かけることがあった。“たから”号の存在を知っていただけにわが地域を走るコンテナ車の連なる光景は誇らしく思えたものだ。 D511081〔延〕の牽く1578レ 日豊本線大分~高城 S44(1969)/8/11

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 西大分と大分港の入換は大分運転所C58の仕事と思われるが、この時は南延岡のD51が運用間合いであろうか、足を延ばしていた。D511081〔延〕がコキ+ヨを従えて出発信号機手前で待っていた。 日豊本線西大分 S44(1969)/6

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 小ぶりなシンダエプロンと左右取付高さの違う標識灯がおもしろいD511081〔延〕が、上り運用を終えて給水・給炭・転向のため大分運転所へ向かう。偶然の遭遇であったがこの後廃車になっているので貴重なカットとなった。画面右、構内から道路へ飛び出した分岐は日本専売公社専用線である。後方の留置線に下り向きキハ80+キハ82の2輛が見える。特急“にちりん”は7輛編成に隔日2輛の増結が下り向きに付いていたので、もしかしたら大分で落としたのかもしれない。日頃大分運転所にキハ80系が常駐することはないので不思議な光景を捉えていた。 大分 S46(1971)/7/24