転轍器

古き良き時代の鉄道情景

マニ36雑感

 自分が撮ったマニ36の事は「荷物車・郵便車の世界ー昭和50年代のマニ・オユの記録ー」(クリエイティブモア/平成15年10月刊)によって掘り進めていくことができた。この書籍は改造で生まれたマニ36達のその前歴と背景、複雑な経緯や区分、形態等が詳細に解説されて、それは奥深い趣味の審美眼を磨くにふさわしい参考書といえる。各車のデータ(種車・改造年・形態等)は同書を引用した。

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 マニ362038〔北スミ〕 種車/オロ35格下げスロフ432002 改造/昭和41年幡生工場 形態/丸屋根 アルミ窓枠 台車/TR23コロ軸受 荷物扉の窓が開いている。保護棒も見えないので下降式で開閉できるのだろうか。床下は蓄電池箱・水槽・エアータンク・給水栓と検水栓のコック等がよくわかる。 門司 S57(1982)/8/18

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 マニ3682〔門モシ〕 種車/スロハ32格下げスハ50118 改造/昭和42年土崎工場 形態/丸屋根 アルミ窓枠 台車/TR23コロ軸受 荷物扉間の窓は種車によって前車は3個、こちらは2個である。その窓配置も数と幅、間隔もさまざまなパターンがあるようだ。 門司 S57(1982)/8/18

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 マニ3682〔門モシ〕の車掌室側を見る。4位側に検査標記、3位側に銘板と屋根へのステップが付けられている。丸屋根車の端面は屋上の踏み板とともに優雅な趣きがある。屋根のラインに沿った2つの手摺りが印象的。出入り扉は引戸で前位側はHゴム指示の保護棒付に対して後位側は通常タイプのようだ。 門司 S57(1982)/8/18

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 マニ362135〔大ミハ〕 種車/スハ322248 改造/昭和48年松任工場 形態/丸屋根 600㎜窓幅 台車/TR23 台車はコロ軸受とどう違うのか目を凝らすと軸箱が四角が通常で丸形がコロ軸受ではないかと勝手な判断をしている。また端梁のジャンパ栓受も四角と丸形のタイプがあるようだ。貫通扉は前位側が保護棒付、後位側は無しと思われる。 大分 S55(1980)/9

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 マニ362227〔門モシ〕 門荷13 種車/オハ35976 改造/昭和50年小倉工場 形態/絞り折妻 鋼板屋根 後位側窓変則配置 台車/TR23コロ軸受  こちらは昭和50年という時期の改造で驚く。まだまだ荷物車不足の時代であったのだろう。絞り折妻の車体はオハ35の香りを漂わせている。ウインドシル・ヘッダーの腐食が進んでいるように見える。 大分 S59(1984)/1/17

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 マニ362244〔北スミ〕 種車/オハ352904 改造/昭和50年鹿児島工場 形態/絞り折妻 鋼板屋根 後位側窓1個少ない 台車/TR34 オハ35の台車はTR23からTR34へと発展しているが外観上の違いはわからない。オハ352904を昭和48年の配置表で探してみると東京西局の西イイ、飯田町客貨車区の配置であった。 富山 S51(1976)/9/15

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 日豊本線第6八坂川橋梁を行く荷物列車は1輌めはナンバーが読めスユニ61301〔門モシ〕であった。マニ36の事を学習する前は2輌めマニ36、3~4輌めは荷物扉間3個窓のマニ60と思い込んでいた。「荷物車・郵便車の世界ー昭和50年代のマニ・オユの記録ー」に掲載されたサイドビュー写真と照らし合せた結果マニ36という事に気づく。画像を拡大して台車を見るとTR11ではなくTR23が何よりの証拠であった。外観からだけの判断はオロ35改造グループと思われる。 日豊本線杵築~大神 S53(1978)/9

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 特急“出雲”の後にやって来るEF58牽引の鹿児島発汐留行荷34レの最後尾もマニ36のようだ。行きずりで撮っただけの写真に写った車輛の事を調べるのは参考書があってのことではあるが、趣味の楽しい学習といえる。 東海道本線品川~川崎 S49(1974)/10

 

私が出会った2輌のマニ60

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 突然現れた列車の中間に荷物車が連結されていたので咄嗟にシャッターを押した。ナンバーはマニ60599と読める。「鉄道ピクトリアルNo.702(平成13年6月号)60系鋼体化客車(Ⅱ)」に掲載された車歴表で、マニ60599は昭和37年11月、オハニ61196からの改造と記されていた。総数565輌の大世帯は鋼体化の車輌と(1)オハユニ63、(2)オハユニ64、(3)スハユニ61、(4)オハユニ61・スハニ62、(5)オハニ61・スハニ62からの改造と再改造の区分けがあることを知る。荷物扉間の窓の数や窓幅サイズの違いは種車によるものであった。 マニ60599〔福フチ〕 山陰本線綾羅木 S54(1979)/7

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 機関車の噴かすエンジン音が聞こえ慌てて線路端へ駆けよるとDD51626〔米〕が接近してくるところであった。慌ててカメラを撮り出してとりあえず撮る。マニ60が旅客車の間に入った乱暴な編成であった。追いかけぎみに撮ったマニ60599の妻面に記載された標記は形式マニ60、自重30.0t、「52-12 幡生工」と読める。福知山の車であるが検査は幡生工場で受けるのであろうか、と思う。 山陰本線綾羅木 S54(1979)/7

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 下関駅第1ホーム下り側の欠き取りにマニ60が入っていた。何故か端面だけのスナップでナンバーはわからない。広セキ標記が見えるのでこの当時の下関配置車、59・64・66・67・82・85・131・394・396・703の何れかと思われる。1位側の標記は形式マニ60、自重29.1t、「47-8 幡生工」とあり、自重は種車によって数値は違うようだ。2位側の銘板は日本国有鉄道とその下はよく見えないが改造工場ではないかと思われる。切妻のこの車輌の雨樋縦管は丸管が付いている。貫通幌と幌枠吊りの様子、貫通扉の細部と渡り板の収まり具合もよくわかる。 マニ60 1-2位側 下関 S49(1974)/5

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 車掌室側を見る。絞りの無い切妻の端面、奥まった乗降扉の位置、屋根からの雨樋の連携がよくわかる。屋根へのステップが付いている。検査標記横の2つの小さな票差しが気になる。上は直接車体に「40-7 下関転」と書かれ、下は「6-7(大きく)/4-8(小さく)下関所」と記載の用紙が差し込まれている。意味するものは何であろうか。 マニ60 3-4位側 下関 S49(1974)/5

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 客車端面のディテールが見たくて撮った1枚。端梁に見える装備は連結器を中心にエアホースや暖房管、ジャンパ栓受、開放テコ等であろうか。フックに掛けられたコードの用途が気になる。
 マニ60の詳細を調べて総数525輌は驚きであった。駅頭でよく見かけたような気がするが写真には残っていない。その内の2輌と出会ったのはとても幸運であったと思う。

 
 

マニ372016

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 旧形客車の塗色は国鉄制定色では茶色はぶどう色2号、青色は青15号と呼ばれている。荷物列車の編成を見ているとぶどう色の客車に混じって青色のそれはひときわ鮮やかに映ったものだ。青色のマニ37はパレット積載の荷物車で37輌が改造されている。昭和48年の配置表でその37輌を探してみた。メインラインの東海道山陽筋に生息していると当りをつけ、尾久ー6・宮原ー11・広島ー3・下関ー3・鹿児島3はすぐに見つけることができた。あと11輌、東北筋で仙台ー3・青森ー3を発見し32輌はわかった。残り5輌が苦労した。主だった箇所はマニ36やマニ60はいるがマニ37はいない。日本海沿いで福井ー4・長岡ー1を発見して37輌の分布がわかった。マニ37は東北から太平洋ベルト地帯、日本海縦貫線上越線で運用されていたものと思われる。門司で会ったマニ372016は昭和48年は尾久客車区の配置であったが撮影時は鹿児島運転所へ転属していた。新幹線開業で変革を迎えた「雲仙・西海」、「阿蘇・くにさき」の夜行急行は14系客車となりその先頭に連結されたマニ37の輝かしい姿は新大阪や門司で見る機会があり、新たな組合せに感動したものである。 マニ372016〔鹿カコ〕 門司  S52(1977)/8

ワサフ8000とワキ8000のこと

 茶色や青色の、車高はまちまちなれど車長は揃ったさまざまな形式の荷物列車の編成はなかなか魅力的であった。昭和50年代になると旧形が姿を消し、車長が揃わない灰色や鮮やかな青色のまるで貨車のようなリブとプレス構造のワキやスニと呼ばれる新系列車が加わるようになっていた。好みの車輌を好き勝手に並べたまるで模型の編成を見るような、荷物列車の様相は変わりつつあった。

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 荷物貨物共用貨車ワキ8000にオープンデッキの車掌室を付けたのがワサフ8000で、形態はコキフやレムフのような仲間に見えて貨車としか思えない。運用は客車として荷物列車の編成に組み込まれ、貨車としての稼働は無かったと聞いている。

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 車掌室側から見る。まさに貨車にしか見えないが蓄電池箱等が並ぶ床下は客車のような気がする。両サイドに付いた標識灯は埋込式ではないように見える。 ワサフ8543〔門モシ〕 門荷211 大分 S59(1984)/1/17

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 何気なく撮った荷物ホームの風景。みかん箱やダンボールを紐で縛った荷物が台車に山積みされた光景は旧形客車に積み込むのを連想するが、パレット積の新鋭ワサフ8000とはアンバランスに映る。「大分駅94」と標記された荷物台車が懐かしい。 ワサフ8015〔門モシ〕 大分 S55(1980)/9

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 ワキ8000は新製車と高速貨車ワキ10000から改造されたグループがあり、ワキ8585は後者のようである。台車はTR223を履いている。 ワキ8585〔鹿カコ〕 門司 S57(1982)/8/18

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 TR203を履くワキ8761〔名ナコ〕 門司 S52(1977)/8

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 TR223を履くワキ8506〔北スミ〕 南東荷205 大分 S61(1986)/9 

 ワサフ8000・ワキ8000とも側面シルバーのリブが並ぶ車体に管理局標記を表す正方形の板が張られているが、文字はいずれも消されている。貨車の所属を表す標記は管理局名の大きな頭文字から客車方式の「門モシ」のように、管理局+駅名略号に改められた事と同様の理由であると思われる。

幸崎の濃硫酸専用タンク車

 幸崎でとりあえず撮ったタンク車の形式写真をまとめてみると、濃硫酸専用のタンク車で形式はタム400・タキ300・タキ4000・タキ5750の4形式に集約された。幸崎は佐賀関精錬所で銅の精錬の際にできる濃硫酸の積出基地で日本鉱業を始めとする私有貨車が集結していた。荷重の増加で形式は進展し、タム400ー15㌧、タキ300-30㌧、タキ4000-35㌧、タキ5750-40㌧積であった。化成品分類番号は侵(禁水)84で、侵は侵食性の物質、禁水は水と反応する物質ということで車体にはこの標記がレタリングされていた。

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タム1554 形式タム400 日本鉱業株式会社 濃硫酸及び発煙硫酸専用 侵(禁水)84 幸崎駅常備 幸崎 S57(1982)/1

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タム10410 形式タム400 同和鉱業株式会社 濃硫酸専用 侵(禁水)84 南岡山駅常備 臨時常備駅幸崎 幸崎 S60(1985)/8

 タキ300のことは「プロフェッサー吉岡の私有貨車図鑑復刻増補」(吉岡心平著/ネコ・パブリッシング/平成20年1月刊)に掲載された解説で把握できた。「濃硫酸(及び発煙硫酸)専用車として初めてのボギー車。タム400形15㌧積2軸車の拡大版で、昭和7年から45年間に亘って製作され、同一形式製造期間の最長記録。」とのことでなるほど同じ形式でも古典的なものから近代的スタイルまでバラエティがあった。その視点で写真を見るとタンク体の大きさや太さ、ドームの形状、台枠の構造等の違いがよくわかる。

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コタキ366 形式タキ300 日本鉱業株式会社 濃硫酸及び発煙硫酸専用 侵(禁水)84 日立駅常備 幸崎 S57(1982)/1

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コタキ388 形式タキ300 日本鉱業株式会社 濃硫酸及び発煙硫酸専用 侵(禁水)84 幸崎駅常備 幸崎 S58(1983)/10

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コタキ386 形式タキ300 日本鉱業株式会社 濃硫酸及び発煙硫酸専用 侵(禁水)84 幸崎駅常備 幸崎 S59(1984)/6

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コタキ333 形式タキ300 日本鉱業株式会社 濃硫酸専用 侵(禁水)84 幸崎駅常備 大分 S61(1986)/9

 タキ4000はタキ300を少し引き伸ばしたような10m級のタンク車。所有者のマークや社名標記のバラエティが楽しめた。

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コタキ34044 形式タキ4000 カクタス化成株式会社 濃硫酸専用 侵(禁水)84 幸崎駅常備 幸崎 S57(1982)/1

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コタキ14048 形式タキ4000 三井物産株式会社 濃硫酸専用 侵(禁水)84 日立駅常備 臨時常備駅幸崎 幸崎 S57(1982)/1

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コタキ34052 形式タキ4000 カクタス化成株式会社 濃硫酸専用 侵(禁水)84 幸崎駅常備 幸崎 S57(1982)/1

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コタキ14074 形式タキ4000 カクタス化成株式会社 濃硫酸専用 侵(禁水)84 幸崎駅常備 幸崎 S59(1984)/6

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コタキ14079 形式タキ4000 日鉱商事株式会社 濃硫酸専用 侵(禁水)84 幸崎駅常備 幸崎 S60(1985)/8

 タキ5750形はタキ4000形の拡大版で濃硫酸専用車として初の40㌧積となる。

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コタキ65772 形式タキ5750 日本鉱業株式会社 濃硫酸及び発煙硫酸専用 侵(禁水)84 敦賀駅常備 臨時常備駅幸崎 幸崎 S58(1983)/10

 十把ひとからげで撮ったタンク車の写真を整理してみると濃硫酸専用以外のタンク車も見つかった。内外輸送のマークを付けたアルコール専用のタンク車も来ていたようだが詳細は良くわからない。

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形式タキ3500 内外輸送株式会社 アルコール専用 燃31 岩国駅常備 幸崎 S59(1984)/6