転轍器

古き良き時代の鉄道情景

東小倉界隈


 鹿児島本線門司〜小倉間は門司操車場や東小倉貨物駅があって多数の線路が収束することなく続く楽しい区間である。その線路沿いの海側を併走する国道199号線を通る車中から、鹿児島本線とは関係ない位置に線路が敷かれているのに気づく。思わず立寄ってみると、謎のヤードが広がっていた。

 辺りを見回すもどこから線路がつながっているのだろうかと思いながら、先を急ぐので謎のまま立ち去ってしまっていた。後年、調べてわかったのは東小倉駅から延びる専用線で高浜ヤードということだった。高浜というとかつて石炭輸送全盛時代には石炭積出が行われていたと聞き、遠く日田彦山線の前身、小倉鉄道に思いを馳せる。撮影時は数社あった専用線も日本紙輸送1線限りだったようで、写っているワム80000がその貨車であろう。 高浜 H6(1994)/4

日本鉄道名所8 鹿児島線長崎線日豊線小学館/昭和62年)
 門司〜小倉間は複雑な線路配線を観察でき、車窓から目を離せななった。上記書籍で配線図を見ることができ、改めて複雑な鉄道地帯を実感する。海岸沿いへ出て行く専用線がよくわかる。写真は東小倉から門司操車場にかかる上り線を行く列車から撮ったもの。 S57(1982)/8

スーパーマップル9 九州道路地図(昭文社/平成14年)
 手持ちの道路地図からも専用線の位置関係がわかる。ヤードが収束した先はかつては門司操車場まで延びていたらしい。紙運輸倉庫へ引かれる線もよくわかり、この位置にワム80000が並んでいたようだ。

エアリアマップGP7 九州ロードアトラス(昭文社/昭和53年)
 少し前の地図を開いてみる。この時は西鉄北九州線も健在であった。鹿児島本線上り線を潜った専用線は門司操車場から小倉駅北側の工場地帯まで続く大規模路線というのがわかる。古い専用線一覧表から地図に名前の記載のある荷主は、浅野セメント日本鉱業、モービル石油、大協石油、東京製綱、日本紙輸送、北九州市などが挙げられる。列車からは見えない専用線の存在は、当時この地を車で幾度か通ったことがあり、またいつか来ると思ったまま時が経過し残念でならない。