転轍器

古き良き時代の鉄道情景

立野スイッチバック


 立野スイッチバックの転向線に沿ったきつい坂道を登って立野駅方面を俯瞰する。中九州を横断する国道57号線が整備され、白川沿いの南郷谷が望める。宮地行1795レは瀬田からの急勾配を制して、一旦道路橋の奥に消え、最後尾のC12を開放、貨車入換の後再び道路橋から推進で現れ、急坂を進む。

 機関車は化粧煙突の39680〔熊〕。7輛の貨車を押し上げる速度はまるで牛歩のようだ。立野駅から転向線の折返しまでの標高差は29mあり、三段式スイッチバック雄大さを痛感する。標高277mの立野から標高465mの赤水まで何と188mも登ることになる。

 立野スイッチバックは小学校の修学旅行の際、ここを通るバスの車中で説明を受けその存在を知る。車窓から山を見るもどこに線路が通っているのか見当がつかないままであった。数年後この地を訪れてスイッチバックを線路伝いに歩いてみてあまりの勾配のきつさを実感し、そのスケールの大きさに驚くばかりであった。

 昭和39年に別府から阿蘇を結ぶ九州横断道路「やまなみハイウエイ」が開通、それに呼応するように豊肥本線のDC化がその年の春に行われた。熊本〜大分間通しの客車列車は気動車に置換えられ、蒸機列車は一気に減少した。

 阿蘇カルデラを越える豊肥本線は東は宮地〜波野間で、西は立野〜赤水間で外輪山を越える。外輪山西側に立野渓谷に面したわずかな切れ目があり、そこを足場に外輪山越えのスイッチバックが建設された、と聞いている。推進で転向線を登ったキュウロクは、さらに続く急勾配に備え、進行方向を赤水に向けて汽笛一声動き始める。

 39680〔熊〕の牽く1795レ 豊肥本線立野〜赤水 S47(1972)/3/29