転轍器

古き良き時代の鉄道情景

会津若松


 44年前に訪れた会津若松駅の情景は初の東北で強烈な印象が残っている。当時の記憶が時の流れに埋没する前に駅頭スナップを懐かしんでみたい。写真は跨線橋から磐越西線郡山、新津方面を望んだ景色で、モハ454の屋根上の賑やかな碍子やユニットクーラーに目が行ったものと思われる。 会津若松 S49(1974)/6/15

 只見線会津線寒冷地仕様のキハ23・キハ45の500番台が入線していた。 S49(1974)/6/15

 キハ23504〔仙コリ〕 S49(1974)/6/16

 5輛編成の新潟行229レは郡山方面からED77牽引で入線し、最後尾のスユニにDD5135〔東新〕が付いて先頭となる。1番線を出ると新津方面に進路をとって構内を横断する。 S49(1974)/6/16

 磐越西線郡山〜会津若松間の普通列車は下り10本、上り9本のうち、各1本の気動車列車を除き、全てが機関車牽引の客車列車であった。C1180〔会〕が郡山行のサボを下げたオハフ612527〔仙ワカ〕を運転区へ推進している。 S49(1974)/6/16

 会津若松運転区にはC11とC58が配置されていた。C58は会津若松入換に昭和49年6月まで、C11は日中線・会津線只見線磐越西線会津若松〜野沢)で昭和49年秋まで活躍していた。回転火の粉止を装備したC1180〔会〕は津山機関区からの転属車である。 S49(1974)/6/15

 C1180のバックビューは2つの四角い枠の喚起窓は設置されていない。 S49(1974)/6/16

 新津方面から来たDD51牽引の上り貨物列車の編成反対側にED77重連が連結されようとしている。ED7710〔福〕+ED772〔福〕 S49(1974)/6/16

 ED77重連が貨物中線で待機する編成の先頭に連結された。この角度からは跨線橋とテルハが構内を渡り、本屋寄り貨物ヤードが広がる様子が見えて駅の規模の大きさがわかる。会津若松は磐越の中継、会津・只見・日中線からの貨物集散地で鉄道の要衝である。 S49(1974)/6/16

 郡山行の車窓から中線に入った貨物列車を見る。有蓋車と無蓋車のアクセントのついた編成で、シートに覆われたトラの積荷は何だろうか。鉄道全盛時代どこにでも見られた光景で、中線に止まる貨物列車の魅惑の構図である。 S49(1974)/6/16

 磐越西線上り列車で会津若松を後にする。広大な構内が収束する辺りに引上線があり、本線が下り勾配なのか、引上線が築堤上にあるのか、進行方向右側車窓の上部に突如現れた機関車に反応してカメラを向けた。シャッター幕の光もれで使える写真ではないが、控車が付いていたので貴重なカットとなった。会津若松構内での入換はどのような理由で控車が使われていたのであろうか。機関車はC11312〔会〕のようだ。