転轍器

古き良き時代の鉄道情景

十勝平野の東

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 池田と北見を結ぶ池北線の起点は帯広から約24km、太平洋に注ぐ十勝川が作った十勝平野の東の端に位置している。十勝川と合流する利別川中流域までさかのぼっても視界が広がる平地が広がっていた。池田発北見行の貨物列車をフロントデッキゼブラ塗りのキュウロクが牽いてゆっくり近づいて来た。最後尾は荷物車が連結され、池北線の郵便荷物輸送は貨物列車で行われていたのであろうか。 1995レ 池北線勇足~南本別 S49(1974)/9/18

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 早朝北見を発った貨物列車は正午過ぎに池田へ着く。池田機関区で給炭、給水、転向、息つく間もなく下り貨物の運用に就く。本別手前で上り貨物を捉える。 1992レ 池北線本別~仙美里 S49(1974)/9/18

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 独特な北海道スタイルの29694〔北〕が迫って来る。回転式火の粉止を覆う防煙板は鎧のように見える。ゼブラ塗りのフロントデッキに架けられたスノープラウは他で見る形状とはちがい頑強なカウキャッチャーのようだ。 1992レ 池北線本別~仙美里 S49(1974)/9/18

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 停車する29694〔北〕の後方に「石井専用線 石井林業株式會社」の建て看板が見える。複数の木材会社の専用線があったのかもしれない。この時期も木材搬出で活況を呈していたのであろう。池北線沿線は木材集散地が点在していた。 池北線本別 S49(1974)/9/18

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 上りは編成が長く、チップ積貨車は積車のようだ。最後尾はやはり荷物車が連結されていた。本別は千鳥配置のホームに跨線橋のある構造で急行停車駅であった。駅裏は広大な木材ヤードが広がっていた。池北線は根室本線池田と石北本線北見を結ぶそれぞれのの頭文字をとった線名であるが、当初は道央から網走へ向かう幹線として建設された経緯があることを知る。 1992レ 池北線本別 S49(1974)/9/18

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 「昭和42年版全国専用線一覧表」によると本別林産協同組合0.6㎞、石井林業(株)0.1㎞、同国鉄側線0.1kmと記載され、作業方法はいずれも国鉄動車・手押であった。後方の貨物側線から分岐して木材ヤードへ引込まれる線もあったのであろう。 1992レ 池北線本別 S49(1974)/9/18

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 29664〔北〕の左サイドが見える。元空気溜の位置は右サイドとちがって前方にあるのでデフはタンクの部分が切取られ、ただの四角い板が付いているように見える。 1992レ 池北線本別 S49(1974)/9/18

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 1992レ発車。本別の場内信号機が見える。 池北線南本別~本別 S49(1974)/9/18

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 最後部は客車が付いてまるで混合列車のようだ。北見客貨車区にスユニ60が2輛配置されていたのでこのスジで運用されていたのであろう。 1992レ 池北線南本別~本別 S49(1974)/9/18

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 池北線140㎞全線を3時間半かけて走り通す池田発北見行はキハ12+キハ22の高さ不揃いの気動車列車であった。 933D 池北線勇足 S49(1974)/9/18