転轍器

古き良き時代の鉄道情景

宮崎・大分県境を行く名列車

 難所宗太郎峠を越えて宮崎県に入った日豊本線は鐙(あぶみ)川の谷に沿って下り、鐙川は市棚の手前で小(こ)川に合流、さらにその先日向長井の手前で北川に合流する。新大阪発都城行24系“彗星2号”がゆるやかな流れになった小川橋梁を渡る。 43レ 日豊本線市棚~北川 S49(1974)/9/15

 ED76牽引の宮崎発大分行客車列車が小川橋梁を渡る。きれいな水面が水鏡となって山間の谷を映していた。 528レ 日豊本線市棚~北川 S49(1974)/8/21

 市棚を通過した急行列車はみるみる小さくなって山影へ消えようとしている。市棚からは山越えが始まり、上り勾配で宗太郎までの間に12個のトンネルが連続する。蛇行を繰り返す小川は山峡へ遡るにつれて谷が狭まっていく。7輛のキハ58系で登坂する宮崎発博多行急行“フェニックス”は日豊本線内は上りであるが、列車番号鹿児島本線に合わせてか奇数番号となっていた。 2109D 日豊本線宗太郎~市棚 S49(1974)/9/15

 市棚3番線で上り貨物列車が退避する横を12輛編成の別府発鹿屋・西鹿児島行507D“しいば1号”が2番線を通過する。貨物側線に佇む保線用のモーターカー、有効長いっぱいの長い貨物列車、長編成ディーゼル急行の光景は全盛期の鉄道情景といえる。 日豊本線市棚 S49(1974)/9/15

 終焉間近の急行“高千穂”を北川橋梁で待つ。前寄り4輛がナハ10系で組まれている。急行列車の佐伯~延岡間停車駅は列車によって無停車もあれば、直川・重岡・市棚・日向長井に停まる列車があった。“高千穂”は北川と日向長井に停車していた。 4101レ 日豊本線北川~日向長井 S50(1975)/2/16

 番匠川橋梁を行く宮崎発博多行特急“にちりん2号”を下流側から捉える。グリーン車2輛、営業休止ながら食堂車も組まれた11輛編成であった。 5024M 日豊本線上岡~直見 S50(1975)/8/14

 佐伯4:48発南延岡7:13着下り一番列車は貨物列車に客車を連結した準混合列車でD51923〔延〕の牽引であった。重岡で上り貨物列車と、市棚で上り大分行1524レと交換する。 1553レ 日豊本線重岡 S48(1973)/2/26

 撮影:BBSさん 写真所蔵:転轍手