転轍器

古き良き時代の鉄道情景

網走西部3線区間

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 網走西部呼人寄は3本の線路が並んでいた。手前から湧網線、石北本線、そしてC58のいる線は当時は引上線と思っていた。後にこの3本めの線は、「国鉄全駅各駅停車①北海道690駅」(小学館/昭和58年刊)に記載された線路配線図から浜網走貨物駅への出入線ということを知る。一部抜粋すると『現在の浜網走貨物駅は開業当初網走駅と称したが、昭和7年(1932)、現在地に網走駅が開業、旧網走駅は浜網走駅と改称した。これは釧網本線との連絡のためである。』と記載され、両本線の結節点と貨物駅との関係を理解することができた。

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 C58390〔北〕の牽く網走発北見行1594レ 石北本線呼人~網走 S49(1974)/9/13

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 C58395〔北〕の牽く網走発北見行574レ 石北本線呼人~網走 S49(1974)/9/13

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 網走は石北本線釧網本線、湧網線それぞれの始発終着駅であるので、動力車は函館・札幌・旭川遠軽・北見・釧路の各基地から集まってくる。C58は北見と釧路からの罐が姿を見せ、C5898は釧路配置の釧網本線の機関車であった。石北本線北見~網走間はD51は入らずC58だけの運用であった。 網走 S49(1974)/9/13

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 客車入換で何度もC5898〔釧〕が顔を見せてくれる。煙突、予備灯、デフレクタ、デッキ手摺りは庫で見たC58と同じ装備で、C5898は左右デフレクタにアーチ状に掛けられたつらら切が独特であった。 網走 S49(1974)/9/13