天塩中川は旭川から約161㎞、音威子府からは4つめの駅で天塩川中流域の木材集散地に位置する。夕方の上り貨物列車と下り旅客列車の交換を撮る目的でこの駅に降り立ったと記憶している。静かな山あいの駅に貨物列車が先に到着、旅客列車はあわただしく出て行き、ホームには荷物車から降ろされた荷物が山積みとなり駅員が本屋まで運ぼうとしている。そうこうしていると貨物列車はゆっくりと車体をきしませて動き出す。駅はまたもとの静寂をとりもどす。 宗谷本線天塩中川 S49(1974)/9/14
69623〔稚〕の貨物列車は稚内発音威子府行で「札」や「釧」の局名標記の入ったチップ積トラ90000が数輛連結されていた。キュウロクのデフレクタや火の粉止め、フロントデッキにまたがる手摺り等は独特な北海道スタイルである。中継駅の音威子府まではあとわずかであるが給水のホースが見え、キュウロクはここで水を飲んでひと息入れたのであろう。 1396レ 天塩中川 S49(1974)/9/14
下り旭川発稚内行が接近して来た。機関車は旭川機関区に2輛残ったC55の30番であった。友達が乗っていたのだろうか、生徒たちが集まって来て出迎えていた。 321レ 天塩中川 S49(1974)/9/14
C5530〔旭〕の牽く稚内行が発車。キャブの丸みは流線形改造機の名残りであろうか。天塩中川構内下り寄りは貨物側線が広い範囲で敷かれていた。 321レ 天塩中川 S49(1974)/9/14
天塩中川は音威子府から4つめと書いた。が、後年の時刻表を見ると音威子府から3つめに変わっていることに気づく。昭和49年の時刻表から下りを見ると音威子府ー筬島ー神路ー佐久ー天塩中川の並びであった。その後神路は集落の消滅で駅から信号場へ変更されたと聞いた。北海道内には「道内時刻表」が売られていてそれはさらに詳細な仮乗降場まで掲載されていた。当時、厳密に言うと、佐久~天塩中川の間に琴平仮乗降場があって天塩中川は音威子府からは5つめということになろうか。