転轍器

古き良き時代の鉄道情景

おとぎ号 日本童話祭

 日本のアンデルセンといわれた久留島武彦は大分県玖珠町出身で、久大本線豊後森駅が位置する玖珠盆地はメルヘン調のテーブルの形をした山々に囲まれて玖珠町は「童話の里」と呼ばれている。童話作家久留島武彦の功績をたたえ、昭和25年から毎年5月5日のこどもの日に日本童話祭が開催されるようになった。

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 昭和47年5月5日こどもの日、玖珠町で開催される童話祭に蒸気機関車が牽く「おとぎ列車」が運行されると聞き、大分運転所へ駆けつけた。桃太郎に出てくる桃をかたどったヘッドマークを掲げていたのはC58277〔大〕で、入念な整備が施されていた。フロントデッキの標識灯は「大分」標記の反射板が付けられていた。ヘッドマーク下のカメラは次位のスハニ35改造の教習車オヤ3352〔分オイ〕車内で前面展望を観賞するためのものと整備掛から教えられた。D60の煙が消えた久大本線をC58が走ることに複雑な思いを抱きつつ運転所を後にした。 大分運転所 S47(1972)/5/5

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 久大本線に半年ぶりに蒸機列車が走る。“おとぎ号”は別府~豊後森間(復路は大分まで)を往復する。C58277〔大〕は昭和41年10月の大分国体の際、お召し列車を大分から由布院、日田までをC58115〔大〕と供に牽引した実績がある。その後は豊肥本線や下郡基地の運用に就き、久大本線D60の代走がないかぎりそれ以来の走行ではないかと思われる。 久大本線南大分~大分 S47(1972)/5/5
 ●運行時刻
 往路上り:別府8:44ー大分9:05-向之原9:24-小野屋9:38-庄内9:52ー由布院10:30-豊後中村11:00-豊後森11:11
 復路下り:豊後森16:10-豊後中村16:30-由布院17:07-庄内17:29-小野屋18:03-向之原18:19-大分18:38

 豊後森機関区50周年記念誌に故村井辰雄さん撮影の写真が収められている。

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 写真説明の記載はないが左は昭和47年5月のおとぎ号、右は昭和41年10月のお召し列車と思われる。いずれもC58277のナンバープレートが輝いている。今思うと、昭和47年5月は豊肥本線DL化目前、最後の花道にお召し機C58277をおとぎ号の牽引機に充当したのではないか、演出を図った心意気も考えられなくはない。
 左の写真は豊後森機関区の転車台で転向を済ませたC58277+オヤ3352を捉えている。良く見るとオヤ3352も方向転換しているのに気づく。前面展望観賞の配線のためオヤ33も回さなければならなかったのであろう。この列車運行はC58277+オヤ3352がセットで行われた、ということを今になって理解した。

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 その後も毎年童話祭への列車は運転されたと思うが詳細は把握していない。昭和56年5月5日こどもの日、ひさしぶりの“童話号”を追いかけていた。この時列車名は“おとぎ号”から“童話号”に変わっていた。この前年に久大本線の客車列車はオハ47やオハ35等の旧形客車から50系客車に置換えられていて、機関車はDE10、客車は12系で運転されていた。 久大本線庄内~天神山 S56(1981)/5/5

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 DE101021〔大〕の牽く9631レ“童話号”がホイッスルを吹聴して接近する。続くオハ12の窓は親子連れの笑顔が溢れていた。童話祭からの帰り道、楽しい思い出が詰まったスハフ12の顔が遠ざかって行った。日本童話祭はこどもの日の風物詩として連綿と続いている。 久大本線向之原~賀来 S56(1981)/5/5