転轍器

古き良き時代の鉄道情景

荻窪

f:id:c57115:20210609114205j:plain

 中野から高架線を走ってきた複々線荻窪の手前で地平に降り青梅街道をアンダーパスして駅に入り、再び西荻窪に向かって高架線となる。中央本線の長距離列車はかつて新宿でEF64の牽く客車列車を見たことがある。新宿発松本行は荷電連結の9輌編成で残雪の快速線を行く。 中央本線荻窪 S52(1977)/12

f:id:c57115:20210609114306j:plain

 松本運転所115系の編成はクモハ115+モハ114+クハ115の3輌ユニット2組の間にサハ115 2輌をはさむ8輌で独特な組み方であった。クモニ83は新宿寄りに連結されて異彩を放ち、律儀に行先と列車番号掲示していた。新宿を出ると次に止まるのは立川で、その間27.2㎞もあった。 中央本線荻窪 S52(1977)/12

f:id:c57115:20210609114406j:plain

 快速線を堂々とEF1513〔八〕の牽く貨物列車が通過する。前面窓庇とデフロスタが精悍な面構えを作っているように見える。 中央本線荻窪 S53(1978)/2

f:id:c57115:20210609114442j:plain

 緩行線を「三鷹」を掲出したカナリアイエローの101系が行く。快速線は貨物列車が通り、しばらく並走する。荻窪三鷹寄りには緩行線快速線それぞれに引上げ線が設けられていた。11Rの標記は入換信号機で、白色灯2個水平点灯は停止、斜め点灯は進行を意味するらしい。 中央本線荻窪 S53(1978)/2

f:id:c57115:20210609114533j:plain

 当時、先頭車運転席後ろはカーテンが降ろされて前面展望はできなかったと記憶しているが、東中野から立川まではほぼ直線の線形で見通しが良く、この区間乗車の際に自動閉塞信号機の現示パターンを理解することができた。細かく刻まれた閉塞区間ごとに閉塞信号機が設置され、先行列車が通り過ぎると赤現示、その列車が次の閉塞区間に進入すると橙黄現示、その先に入ると緑現示と次々に変化する様を興味深く見ていた。3灯式がそれで4灯式5灯式は色の組合せパターンがさらに複雑でおもしろかった。夜の時間帯は緩行線を黄色の電車の他に朱色の電車も走っていた、と思う。地平のホームからは南口のネオンが輝き私鉄沿線風景のようにも映る。はるか遠い日の良き時代を懐かしむ。 中央本線荻窪 S53(1978)/2