転轍器

古き良き時代の鉄道情景

宮原線逍遥

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 町田駅近くの築堤を駆け上がると朝露で濡れた線路端はとても寒く、ピンと張り詰めた空気は顔を刺すような冷たさだった。上り豊後森行2番列車は肥後小国6:36発、宝泉寺7:21、町田7:35、恵良7:35、豊後森7:41着のダイヤで運転されていた。やっと辺りが明るくなった頃にキハ40が通過して行く。宝泉寺から町田にかけては町田川の河岸段丘に沿った築堤を走る。その下は国道と呼ぶにはたよりない326号線が寄り添っている。 222D 宮原線町田~宝泉寺 S59(1984)/11/28

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 みごとな9連アーチの廣平橋梁を廃線を惜しむ満員の乗客を乗せた臨時列車“宮原号”が渡っていく。まるで碓氷峠の煉瓦造りのめがね橋を見るような荘厳な景色と思う。 6226D 宮原線麻生釣~北里 S59(1984)/11/28

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 小国杉後方にそびえる涌蓋山の山腹は地熱発電所の蒸気が吹きあがっているのが見える。キハ40+キハ58+キハ40の3連が紫煙を残して進んで行った。車窓から涌蓋山の山容は望めるだろうか。 9234D 宮原線麻生釣~北里 S59(1984)/11/28

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 小国杉の美林を背景に町田川の河岸段丘を行く。 224D 宮原線町田~宝泉寺 S59(1984)/11/28

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 九重山群から万年山へ続く高原地帯を宮原線は通る。エンジン音高らかなキハ40は小国杉のトンネルへ消えて行く。 224D 宮原線麻生釣~北里 S59(1984)/11/1

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 宝泉寺行キハ40単行が玖珠川橋梁を渡る。右岸で国道210号を、左岸で国道387号を跨ぐ。後方三角形の山は小倉岳と思われる。豊後森17:52発ー恵良17:58ー町田18:09ー宝泉寺18:15着。 229D 宮原線恵良~町田 S59(1984)/3

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 朝霧の残る玖珠盆地午前9時の構図。宝泉寺から寄り添っていた町田川は久大本線引治の近くで本流の玖珠川と合流し、玖珠盆地へと流れていく。カーブした玖珠川橋梁上のキハ40は玖珠川を上路プレートガーダーで渡り、国道210号線を下路プレートガーダーで乗り越して久大本線と出会い、複線の形の単線並列で恵良まで進む。遠く大岩扇山は朝霧でかすんでいる。 224D 宮原線恵良~町田 S59(1984)/11/1

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 上り2番線出発信号機の腕木が下がり、キハ402041〔分オイ〕が駅長の合図とともにゆっくりと動き出す。駅構内の様子はC11やキハ07が走っていた時代から何も変わっていないであろう。 227D 宮原線宝泉寺 S59(1984)/3/28

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 宮原線廃止直前は大分や博多からの直通列車が豊後森に着き、宮原線内を2往復して帰るダイヤが組まれていた。これまで宮原線では見られなかった急行形編成が最後の花道を飾った。 キハ58+キハ65+キハ58+キハ28の4連 6225D“宮原号” 宮原線麻生釣~北里 S59(1984)/11/28

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 日頃単行ばかりの宮原線も廃止直前のこの時ばかりは多数の臨時列車が運転された。1時間に1本の臨時ダイヤは上下列車が宝泉寺で交換する設定であった。牧歌的な高原風景をキハ40+キハ58+キハ40の3連が行く。 9233D 宮原線麻生釣~北里 S59(1984)/11/28

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 大分・熊本県境の荒涼とした台地を走る。別れを惜しむ臨時列車が帰った後、きょうの上りの最後を締めくくる228Dが高原の風とともに去って行った。廃止まであと2日。 宮原線麻生釣~北里 S59(1984)/11/28