転轍器

古き良き時代の鉄道情景

コンクリート石炭ホッパー

 昭和44年の趣味誌で見た唐津線厳木〜多久間を行く補機付石炭列車の写真が脳裏に焼きついている。その後のいわゆるSLブームでは筑豊地区がクローズアップされ鉄道を通じて筑豊炭田に興味を抱くきっかけとなり、撮影に出かけては見聞を広めてきた。一方唐津炭田を走る鉄道のことは閉山の時期が早かったこともあって情報は希少であった。SLブームに紹介された唐津線はセメントホッパや冷蔵車がつながれた写真ばかりで石炭列車の写真は見ることはなかった。かつて見た唐津線石炭列車の写真は多久や厳木・岩屋・相知に点在する炭鉱からの石炭を西唐津の先、大島の桟橋に輸送するものと想像する。多久や相知は炭鉱までの専用線が敷かれていたと聞く。読売新聞のWEBサイト「昭和39年空撮タイムマシン」に多久駅の航空写真が載っていて、それは広い構内に石炭車の列が並び、石炭ホッパーとボタ山が写る魅惑的な構図であった。昭和43年に閉山した三菱古賀山炭鉱ということを知る。

 現在の多久駅は都会的な橋上駅となっていた。あの光景の何か手がかりはないかなと立寄って見つけたのがこの遺構。高い位置からを探したが結局線路沿いの市営駐車場からしか撮ることはできなかった。キハ472輛編成の佐賀行が通過した。 唐津線多久〜中多久 H26(2014)/9/21

 草蒸した石炭ホッパーを凝視していると、モノクロームの世界に引込まれてセラやセムなどの石炭車が漏斗の下につながれているようなそんな錯覚に陥ってしまう。「夏草や兵どもが夢の跡」かな…。