転轍器

古き良き時代の鉄道情景

塩狩峠


 「塩狩峠」の名前に魅かれて塩狩駅で下車する。三浦綾子の小説「塩狩峠」からか、天塩と石狩の国を分ける境の峠名に誘われたのか、若き日の私は文学的要素よりも地理的事柄に起因していたと考えられる。構内は上下線と中線で相対式のホームは位置がずれて配置されていた。名寄へ向かう列車はD51の頭に前補機の旋回窓もいかめしいDD51が付いていた。 1395レ DD511080〔旭〕+D51916〔名〕 宗谷本線塩狩  S49(1974)/9/15 

 重連の貨物列車は狭いホームに立つ眼前を通過して行った。条件反射のように本務機関車を撮る。とっさの事でピント合せがよくできない。D51は名寄機関区の916で前年は小樽築港の罐であった。名寄機関区はD51-8輛、9600-13輛が配置され、宗谷本線・名寄本線・興浜南線・深名線で運用されていた。