転轍器

古き良き時代の鉄道情景

久大本線時刻表 昭和31年11月号から

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■快速気動車(黄色)

 昭和28年3月、九州で初めて気動車による快速運転が行われたと「九州の鉄道100年記念誌鉄輪の轟き」(JR九州/平成元年10月刊)に、キハ44100+キハ44200+キハ44100の3輛編成の写真とともに記載されている。門司港~久留米間を往復したようである。昭和31年の久大本線の時刻表に博多~日田間を往復する気動車列車が掲載されていたので、これももしやその編成なのではないか心踊ったが、こちらはキハ45000(昭和32年の称号改正でキハ17)であった。博多~日田間2往復の運転は昭和29年12月から始まり、博多~久留米間が快速運転であった。この時代の先がけともいえる華やかな列車であったと思いを寄せる。このスジは後に温泉地、天ヶ瀬まで延長される。

 

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 キハ44100+キハ44200+キハ44100のイメージ。キハ44100はその後キハユニ16→キユニ16と改造されて久大本線を走る。

■610レ(緑色)

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 杵築発門司港行という列車の存在に驚く。この時代は長距離鈍行は当り前ではあったが、終着駅の方向と反対向きに進むのはどういう意図なのか興味深い。杵築発車時は543レ、鳥栖・幸崎行を名乗り大分で分割され、2等車は鳥栖行に付く。久大本線は610レ、久留米からの鹿児島本線も610レで北上する。原田からは何と筑豊本線に踏み入れ、黒崎で再び鹿児島本線と合流し門司港に着く壮大な行路であった。そこで気になるのはこの列車のそれぞれの線での牽引機。日豊本線はC55、久大本線D60、C58、8620のいずれか、鹿児島本線原田まではC57、筑豊本線と黒崎から門司港まではC51か、と勝手な想像は楽しい。

■客車“ゆのか”(桃色)

 臨時快速列車であった“ゆのか”は昭和31年11月から定期列車に格上げされている。そこで気になったのは「3602」の列車番号である。かつて習った列車番号付番の法則を当てはめると、千位の3は定期列車で快速、百位は運転線区で6は久大本線、十位は列車種別で久大本線を走る定期の快速列車ということになる。2等車は何が連結されていたのであろうか。客車受持ち区が仮に大分であるとすれば、2等客車はオロ31・スロ32、2・3等合造車ならスロハ31・スロハ32が使われていたかもしれない。淡青色の帯を巻いた見たことの無い2等車に思いを馳せる。

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                 2・3等合造車スロハ31のイメージ

■混合列車(青色)

 「混合列車」の定義は旅客列車に貨車を連結したもの、「準混合列車」は貨物列車に客車を連結したものと記憶している。久大本線の場合、「列車番号650以上は貨車が併結されていた」と元豊後森機関区の機関士から聞いていたが、混合と準混合の区別はわからなかった。該当の列車は下りは由布院~大分(671レ)、久留米~豊後森(677レ)の2本が、上りは大分~豊後森(662レ)、豊後森~日田(674レ)、豊後森~久留米(676レ)の3本があった。由布院発大分行671レは貨車に客車は1輛とのことでこの列車は準混合列車と思われる。久留米発着は客扱い上で列車は継続して運転されているものと推測する。貨物列車のスジを知る手立てはないものだろうか。

佐世保行(茶色)

 421レという日田発佐世保行の列車が載っている。列車番号400番代は佐世保線用で、鳥栖から番号が変わるのではなく、日田発車時点で佐世保線421列車を名乗っている。この折返しを時刻表で探すも見当たらず、422レは佐世保門司港行となっていて、片道列車のようである。日田発佐世保行列車の設定の理由は何だったのかとても気になる。