転轍器

古き良き時代の鉄道情景

三角点描

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 三角線は歴史ある路線で、島原や天草への航路連絡として九州鉄道によって明治32年12月に開通、三角駅はその時に開業した駅である。この時期の九州線は現在名で言うと、鹿児島線は八代まで、長崎線早岐・大村回りで浦上まで、日豊線は柳ヶ浦まで開通していた。伝統ある駅の出口から低い階段を降りると狭い駅前広場は海岸に面し、潮の香りと歴史ロマンあふれるエキゾチックな雰囲気が漂っていた。  三角線三角 S59(1984)/1/11

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 給油で立寄ったガソリンスタンドで三角港を一望できる高台の民宿を紹介された。三角港の夜景を楽しんでいたらちょうど熊本発三角行539Dが到着したところで、車内灯が煌々と輝き辺りを明るくしていた。編成はキハユニ26+キハ47+キハ28+キハ47+キハ58の三角線では長い5連であった。 三角線三角 S59(1984)/1/11

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 早朝の三角港は冷たい澄んだ空気が漂っている。風情ある港町の駅に3輛編成の列車が待機している。線路は八代海沿いに海岸線をなぞり波多浦から三角半島を横断すべく内陸部へ入る。波多浦駅の近くから戸馳島へ渡る橋が見える。 522D 三角線三角 S59(1984)/1/12

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 朝もやをついて熊本からの下り列車が見えてきた。三角構内入口の場内信号機の腕木が下りて列車を迎える。 523D 三角線波多浦~三角 S59(1984)/1/12

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 明治32年、九州鉄道が三角まで建設した際に交付された免許は「門司から熊本を経て三角まで、宇土より分岐して八代まで」と記されて、当時は鹿児島線沿いよりも三角方面が本線扱いだったらしい。わずか25.6Kmの支線の終着駅にしては5線もある広い構内はそのような歴史過程があったからであろう。だるま転換器や転轍器標識、転轍手詰所の風景は良き時代があったことを物語っているようだ。

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 三角駅5線の線路が収束した所から振り向くと、岸壁に向かって再び4線のヤードが作られていた。構内を横切る道路には大規模な踏切遮断機があり、全盛期は貨物入換が頻繁に行われていたであろう。

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 岸壁に沿って伸びる側線に大物車編成が置かれていた。宇土寄りからヨ18153〔分オイ〕+シキ670B〔形式シキ670 三菱電機株式会社 西浜信号場常備〕+ヨ5003〔天ナラ〕で巨大な変圧器が吊掛式という積み方で積載されていた。車票から肥後大津へ向かうものと思われる。至近距離で初めて見るボギー台車6連12軸の大物車はとてつもない迫力で、もはや車輛というよりは鋳物工場という印象であった。

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 ヤード山側は巨大な石油タンクが現れて不思議な空間に迷い込んだような錯覚におちいる。今にもタンカー編成がきそうな気がするが三角線の貨物輸送は昭和57年頃に廃止されたと聞いた。

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 情緒ある駅前から少し西側に向かっただけで景色は大きく変わる。ヤード海側は大形船が接岸できる岸壁に伸びていた。国際貿易港として栄えた遠い時代の面影を見たような気がする。 三角 S59(1984)/1/12