転轍器

古き良き時代の鉄道情景

2020-01-01から1年間の記事一覧

十勝平野の東

池田と北見を結ぶ池北線の起点は帯広から約24km、太平洋に注ぐ十勝川が作った十勝平野の東の端に位置している。十勝川と合流する利別川の中流域までさかのぼっても視界が広がる平地が広がっていた。池田発北見行の貨物列車をフロントデッキゼブラ塗りのキュ…

常紋越え

石北本線生田原~金華間15㎞は常紋信号場をサミットとした25‰の勾配が続く難所で常紋越えと呼ばれていた。本務機D51の貨物列車に9600が後押しで峠越えをしていたが、訪問時補機はDE10に置換えられていた。9600時代の補機は生田原~留辺蘂間で運用され、それ…

室蘭本線の駅から

■苫小牧 苫小牧のホームに立つと製紙・パルプ工業の巨大な煙突を背景に苫小牧機関区に並ぶ気動車や機関車群に圧倒される。下り列車に乗って窓の外を見ると広大な苫小牧操車場の真ん中にいるような魅惑の鉄道地帯が展開していた。室蘭発岩見沢行225レを牽くD5…

遠軽スケッチ

遠軽は石北本線と名寄本線の接続駅で、石北本線は新旭川方と網走方がスイッチバックしている。遠軽機関区は駅の裏手の岩山に遮られたわずかなスペースに扇形機関庫が配置されて駅の跨線橋から手を伸ばせば届きそうな距離に感じられた。客車とチップ積貨車の…

留辺蘂

「るべしべ」ー何という名前、何という響きだろうか。聞いたこともない、どこにあるのかさえ知らなかったが、この駅に下車した理由は留辺蘂ユースホステルに泊まるためであった。夜行列車疲れで駅の印象は名前だけ強烈で後はあまり記憶に残っていない。コン…

夕張線

雨上がりの紅葉山へ降り立つ。「安全第一」が掲げられた煤けて歴史を漂わせる跨線橋が出迎えてくれる。2輛編成のキハ22は追分発夕張行729D。後方はセキ6000が長蛇の列を連ねて待機している。本屋につながる上りホームは三々五々人が集まり始めた。駅長が上り…

勇払平野

日本地図帳の北海道を広げ、46年前に自分が立った位置を確認してみた。道央に広がる石狩平野は北は石狩湾から南は苫小牧沖の太平洋にかけて緑色で示されている。当時憧れた室蘭本線と千歳線が交差する場所は勇払平野と記されていた。室蘭本線を乗り越す千歳…

札幌

当時の札幌市は人口約120万人の大都市で、その玄関口の札幌駅は鉄筋5階建の威容を誇っていた。駅前に出て儀礼的に撮った唯1枚のスナップは遠いあの時代の良き思い出となった。 札幌 S49(1974)/9/16 「弘済会の道内時刻表」の札幌駅案内図。国鉄バスのりばの…

かむい7号

北海道の交流電車711系は昭和43年小樽~滝川間電化開業の際に登場している。試作の2輛ユニットからクハ711+モハ711+クハ711の3輛基本編成となり、421系と同じ塗色は近郊形のようで車内はデッキを備えた急行形の構造であった。小樽・札幌と旭川を結ぶ急行“…

国鉄 旅情かきたてられるキャッチコピー

国鉄に憧れたあの時代、たぶん駅の旅行パンフレット等が並べられたコーナーに、国鉄をPRするA4サイズのリーフレットが置かれていたと思われる。ビジュアルに魅かれて手にしたのであろう。大切にファイルしていたのを発見した。古き良き時代の国鉄を思い出し…

さいはての貨物列車

宗谷本線抜海~南稚内間は夜行“利尻”に乗って必ず立寄るべき所として決められていたような、そんな撮影地であった。南稚内から数人でタクシーに同乗してこの場所に来たように記憶している。北海道プロポーションのキュウロクが荒涼とした台地を駆け下りてき…

天塩中川

天塩中川は旭川から約161㎞、音威子府からは4つめの駅で天塩川中流域の木材集散地に位置する。夕方の上り貨物列車と下り旅客列車の交換を撮る目的でこの駅に降り立ったと記憶している。静かな山あいの駅に貨物列車が先に到着、旅客列車はあわただしく出て行…

DF50ー昭和40年代後半の日豊本線ー

日豊本線上り1本だけの本線通しの長距離鈍行が健在であった。西鹿児島5:11発、大分16:03着16:20発、門司港21:02着で日豊本線全線(一部鹿児島本線含む)476.9㌔を16時間かけて走破する壮大な行路であった。かつての540レのなごりでDF50重連の仕業は続いてい…

哀愁のデロクマル

汽車の写真を撮りに初めて大分運転所を訪れたのは昭和44年春。時すでに動力近代化の波は押し寄せ、日豊・豊肥・久大の各本線でかろうじて残った大分・熊本・南延岡の機関車達を見ることができた。なかでも久大本線はDL化目前の時でわずかな期間でD60を撮るこ…

オハネフ25110

“富士”の大分回転車、付属編成が留置されているのを何気にスナップしていた。緩急車はそっぽを向いた不思議な組み方ではあったが気にもせず時の経過とともに忘れ去られていた。前掲、今津で撮った“富士”をアルバムに載せたのを契機にこの『何故』を古い趣味…

“富士”と“日南”の交換ー今津以南単線時代の頃ー

今津駅は周防灘に面した中津平野が広がる田園地帯の中にひっそりと佇んでいた。上りのブルートレインが通る時刻がせまってきたので国道から細道に入り通りがかったのがこの位置であった。構内小倉方を望むと上り本線は特急“富士”が通過、カニ24のテールサイ…

伊田線のC11302

伊田発直方行の上り列車が直方平野を流れる遠賀川を渡る。橋梁を渡り終えると右カーブで筑豊本線の複線に寄り添い、複々線の形で直方へ向かう。 234レ 伊田線直方~中泉 S46(1971)/8/10 川原から鉄橋上を疾走する機関車を見る。角ばったドームの機関車はC113…

金田

29641〔直〕は継足しの無い短い化粧煙突、放熱管がランボードの下という独特のスタイルをしている。ホキ6800の編成から離れ、機回し線から上り本線に出てきたところ。下り場内信号機が建つこの位置からは広大な金田構内が遠くに見える。 伊田線金田 S48(1973…

伊田線 中元寺川の両岸

筑豊の鉄道地図を見ると直方平野を縦横無尽に張り巡らされた路線は川の流れに沿って敷設されているのがわかる。筑豊の石炭はその昔遠賀川を川船で運ばれていた。その輸送手段が鉄道に変わってからも運炭ルートは川の流れに沿って変わっていないことを思い知…