転轍器

古き良き時代の鉄道情景

2019-01-01から1年間の記事一覧

南延岡行1531レ

大分運転所の客車留置は昭和42年に開設された大分電車区が使われていて、日豊・豊肥・久大各本線の客車編成の回送が大分~下郡(信)間で数多く設定されていた。牽引機はED76・ED74・D51・C58・8620等を実見している。蒸機の場合、豊肥本線上り向きが正位で…

遠い日の大分平野

山がちな中九州で大分川と大野川が別府湾に注ぐ大分平野はそう広くはない平地である。そんな大分平野を見渡せる場所が滝尾駅からほど近い中学校の裏山にあった。早朝、豊肥本線下り一番列車を見るためにその裏山に登ってみた。南西方向を見ると大小の山が迫…

添田行421列車から

行橋発添田行421レは逆向きC11が付いて行橋駅3番ホームで待機していた。スチームのきいたオハ35の進行方向右側の席につく。窓を開けて身をのりだすと、「船尾~上戸畑間専用」の標記の入った黄帯セキ6000とセラ1の長蛇の列が居並び、石灰石専用貨物列車の光…

内田信号場

内田信号場は油須原~勾金間6.7㎞の間に昭和29年頃設けられている。時あたかも石炭出炭量が増え続けていた時期であろう。キュウロク重連はセラやセキをつないだ長い編成を従えて猛スピードで通過して行った。信号ワイヤの傍らで後方に下がって通過を見守るも…

東別府駅 昭和60年

日豊本線の開通年代を見ると、明治28年4月行橋(九州鉄道)、明治30年9月柳ヶ浦(豊州鉄道)、明治40年7月に国有化の後、明治42年12月宇佐、明治43年12月中山香、明治44年3月日出、明治44年7月別府、明治44年11月大分に達している。大分以南は大正12年12月大…

ED7625

大分運転所に新製配置されたED76のうち幸崎電化時の9~26とその後増備された27~28は昭和61年末頃までに廃車となっている。都城行下り“彗星”を牽くED7625〔大〕は余剰車を横目に最後の活躍をしていた。この時の“彗星”はカニ24とオハネ25・オハネフ25のシンプ…

ED7626

昭和59年2月、九州内を走るブルートレインにヘッドマークが復活した。日豊本線では“富士”と“彗星”に懐かしい絵柄が掲げられるようになった。ところがその1年後、“富士”のマークがかつての展望車時代の形に変更されるとのニュースを聞き、これまで慣れ親しん…

ED7679

昭和60年3月14日ダイヤ改正は、特急“富士”のヘッドマークがお椀形から山形へ変わるということでひさしぶりに大分運転所構内に入ってみた。電気機関車検修庫はかつての賑わいはなく、ひっそりとしていたのが国鉄の行く末を物語っているかのようであった。この…

唐津線

国道203号線を走っている。国道203号は佐賀~唐津間の一般国道でそのルートはJR唐津線とほぼ一致する。道路と線路の併走は鬼塚駅から厳木駅の先、笹原峠まで続いている。多久方面へ向かう車の助手席で早春の唐津線沿線の車窓を楽しんでいた。今はJR唐津線だ…

憧れの東行鮮魚特急

最強機関車EF66が牽く「門」の管理局標記の入ったレサ10000編成は憧れの的であった。かつて趣味誌に載ったカツミ模型店の広告は「あなたの鉄道にもフレートライナーを」のキャッチコピーでEF66と10000系冷蔵車とコンテナ車が紹介されていた。模型でしか知ら…

キハユニ1515

キハユニ15は昭和27年に登場した電気式気動車キハ44000(昭和32年形式称号改正でキハ09)を運転台側半室を郵便荷物室に改造して誕生した形式である。キハ44000は3扉車でその名残りが残っているのがわかる。熊本機関区で遭遇したキハユニ1515は肥薩線からの乗…

あきよし

美祢線を訪れてから4年、偶然にも久大本線で急行“あきよし”と遭遇する。昭和47年時点では久大本線・日田彦山線は2輛編成で走っていたが、昭和51年では3輛編成に増強されていた。“あきよし”の列車体系はダイヤ改正と共に変遷し、昭和50年3月の改正で山口線編…

美祢線の急行列車

美祢線は2本の急行列車が設定されていた。ひとつは鳥取と熊本を結ぶ“さんべ1・2号”で、もう1本は浜田と博多・天ヶ瀬を結ぶ“あきよし”である。気動車急行全盛時代はこのようないくつもの線をまたがる長距離急行が多く運転されていた。“あきよし”の運転経路は…

美祢線

美祢線ローカルは厚狭~長門市間全線通し運用(下り1本のみ渋木~長門市)で厚狭機関区の気動車が運用されていた。仙崎までの直通運用が数往復あり、益田まで足を延ばすのもあった。宇部新川発仙崎行2735Dはキハ26+キハ30+キハ20+キハユニ15の4連で急行…

ED76 500番台

函館本線は昭和43年8月に小樽~滝川、昭和44年9月に滝川~旭川間が電化され、その際ED76500番台が登場し、22輛が岩見沢第二機関区に配置された。ED76を名乗るが外観は九州の76とは全く異なり、正面は貫通扉を備えたED75の顔、側面はED76調ではあるがF級電機…

後藤寺

日田彦山線後藤寺駅は新飯塚への後藤寺線、金田への糸田線を分ける分岐駅。広い構内は石炭車や石灰石のセキやホキの長い編成で埋まり、特に1番ホームと2番ホームの間の中線2本は貨物列車の往来で活況を呈していた。船尾からの石灰石列車は苅田港行はスイッチ…

船尾行5493レ

新飯塚発後藤寺行529Dに乗車し後藤寺線13.3㎞を乗り通し、頭端式の後藤寺駅0番線に到着する。勇み足でホームに降り立つと中線に長編成の貨物列車が停車していた。この長い編成がどのように進むのかわかっていたか否かは記憶にないが、発車の汽笛が鳴るのを胸…

中元寺川橋梁

29602〔後〕がトキ編成を牽いて中元寺川橋梁を渡る。セキとホキ、セラばかりの後藤寺線の中では異色の編成のようにも思える。ホッパ車の代用であろうか。列車番号は通常下りが奇数、上りが偶数と決まっているが、後藤寺線の場合船尾へ行く(上り)のも、船尾…

起行貨物駅

後藤寺を出て勾配を下り1㌔も走らないうちにまたヤードが開けてくる。起行貨物駅である。ヤードに溜まる貨車はまばらで、まわりの雰囲気から全盛時代の使命は終えた貨物駅の印象であった。開業は明治30年10月で、豊州鉄道が今の後藤寺線となる起行までを初め…

船尾の印象(2)

船尾駅日鉄鉱業の専用線は本線からスイッチバックする形で弧を描くように敷かれている。遠くで発破の音が聞こえ、近くではベルトコンベアのモーターの音が鳴り響く、とても騒々しい構内であった。白い粉でウエザリングされたセキ6000や独特なスタイルの日鉄…

船尾の印象

船尾は昭和47年春に初めて通った際、車窓から見た工場内の光景が焼きついて忘れられず、翌48年に引き寄せられるように再訪した感動の地であった。上写真は再訪時の船尾の印象、下写真は47年、新飯塚発後藤寺行529D車内からの船尾の第一印象である。船尾は想…

タキ5750

かつて無造作に撮ったタンク車で形式タキ5750の写真が2枚出てきた。車体標記の濃硫酸はどのような用途があるのか「プロフェッサー吉岡の私有貨車セミナー」(レイルマガジン連載)で確認すると、肥料・繊維・紙パルプ・食品・金属精錬等に使用されるとのこと…

久大本線時刻表 昭和31年11月号から

■快速気動車(黄色) 昭和28年3月、九州で初めて気動車による快速運転が行われたと「九州の鉄道100年記念誌鉄輪の轟き」(JR九州/平成元年10月刊)に、キハ44100+キハ44200+キハ44100の3輛編成の写真とともに記載されている。門司港~久留米間を往復したよ…

キユニ16

キユニ16は昭和28年に登場した正面湘南スタイルの電気式気動車キハ44100を改造してキハユニ16となり、さらにキハユニ16の客室部分を改造してキユニ16となった複雑な経緯を辿っている。キユニ161と162はそれぞれキハユニ161、165から昭和40年3月の改造で広島…

鉄製有蓋車

蒸機時代、テ、テム等の名前を持つ貨車はよく見かけていた。一番よく見るワムと違って、屋根と側板に継ぎ目のない形が何とも独特な雰囲気を醸し出していた。側扉はX補強のリブ、妻面は丸屋根に縦2本のリブが表情を作って愛らしい貨車といった印象がある。バ…