転轍器

古き良き時代の鉄道情景

蒸気機関車

D60の残留について

昭和45年10月ダイヤ改正は久大本線DL化達成で大分運転所のD60は新製DE101000番台車に置き換わる日であった。9月はD60の最後を記録しようと足しげく通うもののDE10が先頭でD60の顔は運転所に行かないと撮れなかった。D6065〔大〕は機関車線突端の停止位置から…

C57115とC5739について

大分運転所のC57はヨンサントオ以降17と53の2輌配置となって全盛期から見れば1割の数へと減じてしまった。53は昭和46年3月に若松へ、17は同年10月宮崎へ転じ、大分運転所C57終焉かと思われたが入れ替りに元大分に籍を置いたC57115が再び戻って来た。DF50の故…

行橋機関区のC11

昭和44年3月時点で門鉄のC11は門司・行橋・後藤寺・直方・鳥栖・早岐・佐々の7機関区に56輌が配置されていた。走行線区は日田彦山・田川・添田・伊田・糸田・後藤寺・宮田・上山田・甘木・矢部・松浦・佐世保と枚挙にいとまがない。 C11162〔行〕 438レ 行橋…

豊州本線開業時の機関車のこと

昭和51年10月25日は津久見駅開業60周年記念の日で記念急行券が発行されていた。津久見は「みかんとセメントの町」、そのキャッチフレーズが水彩画のタッチで効果的に描かれていた。津久見駅は大正5年10月25日、当時の建設線名佐伯線が臼杵から佐伯まで開業し…

D51牽引の旅客列車

C58なき後の大分運転所はDF50の予備機としてC57115が残ったが、その後旅客列車を撮りに出かけることもなくなったので動静は定かではない。蒸機列車は南延岡機関区のD51が牽く貨物列車だけになったので貨物の通過時刻に線路端へ向かい客レを追うことはなくな…

C58最後の日 昭和47年5月31日

昭和47年春、新製DE10落成の都合で豊肥本線・日豊本線と大分入換の無煙化は2段階に分けて行われた。昭和47年3月15日改正は新幹線岡山開業の日、その前日が豊肥本線大分~豊後竹田間旅客列車牽引C58の最後の日であった。DE10が出揃って迎えた6月1日は日豊本線…

C57191との邂逅

東九州の要衝、大分運転所は電化前、日豊本線のC57を最大21輌擁したパシフィックの一大基地であった。そんな全盛期を彷彿させるような光景に出会い固唾を呑んで状況を理解しようと立ち止まった。撮影時C57は1次形2輌(17・53)だけの配置で、まるで形式が違…

熊本機関区の9600

豊肥本線は熊本と大分側から宮地軽便線、犬飼軽便線として建設が始まり、昭和3年12月に全線開業した。本線用の8620と9600が下級線区へ投入され始めた昭和9年頃、熊本機関区に9600が配備され、以後幹線筋から操配されたC58と共に豊肥本線での足取りが始まる。…

69616

夕方の宮地行の補機を務める69616〔熊〕が給炭線脇でスタンバイしている。石炭満載のテンダのプレートは形式入が付いている。テンダ輪郭の縁取りやキャブの屋根と下回りの曲線が優雅に見える。 熊本機関区 S47(1972)/3/29 熊本機関区の給炭設備はアメリカン…

D6071 旅立ちの日

いつものように大分運転所に行くと、日頃まず入ることのない電留線にD60がいるのに驚いた。近づいてみるとキャブの札差しに機関車の転属を告げる票が差し込まれていて、D60減少の現実に愕然とする。今夜半の貨物列車で北上するとのこと。「D6071よ、大分での…

夕暮れの水前寺

九州には「寺」のつく駅が6つある。日豊本線豊前善光寺、久大本線善導寺、日田彦山線後藤寺、筑肥線周船寺、宮原線宝泉寺、そして豊肥本線水前寺。ここ水前寺を訪れたのは9600重連の宮地行を撮るためである。水前寺の構内はとても広く隣りの南熊本とともに…

39680

39680〔熊〕が家畜車や無蓋車、石炭車の入った12輌の貨車を従えて米良川の土手に向かう上り勾配をゆっくりと進む。黒色の編成の中で石炭車の黄帯がひときわ引き立ち、上り場内と遠くに見える出発信号機の赤色もよくわかる。後方右手に農業倉庫が見える。 795…

69665

私が知っている熊本機関区のキュウロクのうち、69665と79602の唯2輌が門デフ装備車で目立つ存在であった。69665〔熊〕とは対面の確立が高く一番多く出会った機関車で思いもひとしおである。 貨物列車と旅客列車の交換に偶然出くわす。通常ダイヤであれば熊本…

幸崎小運転で使われた機関車

昭和44年当時、日豊本線大分~幸崎間に夕方1往復の貨物列車が設定されていた。「小運転」という用語は当時の趣味誌に国鉄マンが執筆した機関車の現況を伝える記事で目にし、短区間の運用は自然とそのように呼ぶようになった。国鉄に「小運転」の定義があった…

79653

豊肥本線の9600はねぐらを宮地機関から熊本機関区に移して同ナンバーが継続して使われていた。79653は当初のメンバーではなく廃車補充として昭和44年4月に香椎から転属して来た機関車であった。約4年間豊肥本線で働いた後、昭和48年の無煙化の際遠く北海道へ…

79608

小鳥のさえずるのどかな日、一面れんげ畑の向こうからお目当ての貨物列車はやって来た。石炭車とバラスト散布のホッパ車が編成にアクセントを添えてちょうどよい長さである。79608〔熊〕はコンプレッサーの排気音をリズミカルに鳴らして通り過ぎて行った。 7…

79602

79602は「蒸気機関車No.55(昭和53年5月号)」の9600番号順配置表によると、昭和8年鳥栖ー昭和22年佐賀ー昭和36年宮地と記載され、一貫して九州内を回っていたようだ。宮地機関区は昭和39年の豊肥本線DC化の際に熊本機関区に統合され、79602は昭和48年の無煙…

59670

阿蘇ドライブの途中の山腹に機関車が置かれているのに気づく。近寄ってみると何とついこの間まで貨物列車を牽っぱっていた熊本機関区の59670であった。とりあえず記念撮影をしてそのままになっていたネガを発見、忘れ去っていた高原の機関車のことを思い出し…

熊本機関区で出会ったC11達

熊本機関区のC11は伝統的に数多く配置され、矢部線・三角線と熊本・川尻・八代・大牟田・荒尾の入換運用に広く使われていた。昭和30年代は熊本機関区に荒尾と八代に機関支区が設けられて数輛のC11が配置されていた。またそれ以前は矢部線黒木にも駐泊所があ…

ヨンヨントオ前夜

汽車の写真を撮り始めて初の10月がやってきた。10月は国鉄のダイヤ改正の月、鉄道に対して何の情報もなかったあの時代、地元新聞の「蒸機また消えるー」の見出しに踊らされて昭和44年9月30日の放課後は一目散に蒸機基地へと自転車を走らせた。 【写真①】手前…

早朝の帯広

帯広5番線に停車しているのは広尾行の貨物列車のようだ。道外禁止の黄帯を巻いたワフ21000はステップの手摺りは白く塗られている。所属標記は釧オロと読める。後方に煙突が長い二段屋根の矩形庫が見える。 帯広 S49(1974)/9/18 朝もやのかかる広い空の下、6…

十勝平野の東

池田と北見を結ぶ池北線の起点は帯広から約24km、太平洋に注ぐ十勝川が作った十勝平野の東の端に位置している。十勝川と合流する利別川の中流域までさかのぼっても視界が広がる平地が広がっていた。池田発北見行の貨物列車をフロントデッキゼブラ塗りのキュ…

常紋越え

石北本線生田原~金華間15㎞は常紋信号場をサミットとした25‰の勾配が続く難所で常紋越えと呼ばれていた。本務機D51の貨物列車に9600が後押しで峠越えをしていたが、訪問時補機はDE10に置換えられていた。9600時代の補機は生田原~留辺蘂間で運用され、それ…

室蘭本線の駅から

■苫小牧 苫小牧のホームに立つと製紙・パルプ工業の巨大な煙突を背景に苫小牧機関区に並ぶ気動車や機関車群に圧倒される。下り列車に乗って窓の外を見ると広大な苫小牧操車場の真ん中にいるような魅惑の鉄道地帯が展開していた。室蘭発岩見沢行225レを牽くD5…

遠軽スケッチ

遠軽は石北本線と名寄本線の接続駅で、石北本線は新旭川方と網走方がスイッチバックしている。遠軽機関区は駅の裏手の岩山に遮られたわずかなスペースに扇形機関庫が配置されて駅の跨線橋から手を伸ばせば届きそうな距離に感じられた。客車とチップ積貨車の…

夕張線

雨上がりの紅葉山へ降り立つ。「安全第一」が掲げられた煤けて歴史を漂わせる跨線橋が出迎えてくれる。2輛編成のキハ22は追分発夕張行729D。後方はセキ6000が長蛇の列を連ねて待機している。本屋につながる上りホームは三々五々人が集まり始めた。駅長が上り…

勇払平野

日本地図帳の北海道を広げ、46年前に自分が立った位置を確認してみた。道央に広がる石狩平野は北は石狩湾から南は苫小牧沖の太平洋にかけて緑色で示されている。当時憧れた室蘭本線と千歳線が交差する場所は勇払平野と記されていた。室蘭本線を乗り越す千歳…

69699

緑ナンバー69699〔熊〕が熊本からの貨物列車を豊肥本線全線走破して大分に到着した。到着後すぐ大分運転所に入って向きを変え給水・給炭の後、豊後竹田行748レの機関車となる。 795レ 大分 S44(1969)/3 69699〔熊〕が転車台で向きを上り方へ変え後退するとこ…

C6119

C61はD51のボイラにC574次形の足まわりを組み合わせ、従輪を2軸とした軸配置2C2のハドソンである。D51は見慣れているものの、下回りが高いからかボイラがやけに太く感じられる。C6119〔宮〕は青森時代の副灯の後が残り、フロントデッキの穴はスノープラウ装…

鹿児島発門操行貨物列車

どしゃ降りの雨の中、C57109〔宮〕牽引の鹿児島発門司(操)行貨物列車が中線に到着した。牽引機は宮崎からC61に交代し、南延岡から大分まではD51の担当となる。C57109はもと大分運転所所属機で、幸崎電化後も大分に残った7輛のうちの1輛である。昭和43年10…