駅の風景
日豊本線と豊肥本線が離れる場所に造成された車輛基地は大分電車区で、昭和42年7月に発足している。豊肥本線上に設けられた下郡信号場から分岐しヤードが広がる。地元の人は「下郡の電車基地」と呼び、地域の場所説明の際は「でんしゃきち」の左右、東西と目…
祝日の朝、汽車見物に大分駅へ赴く。目当てはC57の牽く佐伯行であったがこの日はC58の牽引で残念と思いつつせっかく来たのでしばらく駅の様子をスケッチしてみた。時間の経過とともに写真を並べてみると、旅客列車はED76・DF50・DE10・C58、貨物列車はED74・…
豊後竹田6:57着7:02発上り列車の車内から駅の様子を眺める。構内で夜を明かした下り列車3本はすでに発車した後で留置線に車輌の姿はない。この春の改正までは2台のC58が駐泊していた。駅名標のとなりに建つ名所案内には岡城跡、長湯温泉、祖母山、大船山、久…
「るべしべ」ー何という名前、何という響きだろうか。聞いたこともない、どこにあるのかさえ知らなかったが、この駅に下車した理由は留辺蘂ユースホステルに泊まるためであった。夜行列車疲れで駅の印象は名前だけ強烈で後はあまり記憶に残っていない。コン…
下ノ江駅駅前広場の一角に赤い鳥居が並び、お稲荷さんが祭られている。開業は臼杵まで開通した時の大正4年8月で、開通後たびたび発生する鉄道事故を防いでもらおうと交通安全を祈願しお稲荷さんを祭ることになったと伝えられている。瓦葺き板張りの素朴な木…
赤坂トンネルを飛び出して来た豊後竹田行2輌編成。軽快気動車と呼ばれたキハ31は民営化直前に登場し、短い車体と2列と1列の座席配置、出入り口の折り戸等はまさにレールバスの姿であった。この時転轍小屋はまだ残っていた。 豊後竹田 H8(1996)/5 駅裏の通り…
16時43分、キハ402038〔分オイ〕は上り最終の運用で肥後小国を後にする。キハ40はエンジン音を響かせながらだんだん小さくなって美しい杉木立に吸い込まれて行く。 228D 宮原線肥後小国 S59(1984)/10/8 機回し線と留置線の間に設けられた花壇に駅名板が掲げ…
山本~岸嶽間4.1Kmは時刻表では唐津線の表記であったが、「岸嶽線」や「唐津線岸嶽支線」の呼称の方が分岐線なのでしっくりとくる。石炭産業の盛衰に翻弄され、蒸気動車も走った特異な線区であった。 岸嶽線の気動車を捉えた貴重な写真と出会って感激した。…
豊後中村駅の改札口に掲げられた電照式の時刻表。九重山群の登山口として急行列車は全て停車する。下り4本に対して上り5本なのは“由布1号”に併結された“日田”が由布院折返しで“はんだ”となって単独運転するためである。気動車列車が3往復記載されているが、…
西の終着駅、長崎に初めて降り立ったのは中学校の修学旅行の時で、行止まりの駅と思いきや線路はさらに港の方へ延びていたのが印象的であった。18年後長崎観光の機会があり、長崎駅を訪ねてみた。駅前の高架広場はあの時と同じ、皆で整列した所からステンド…
DE101173〔大〕 大分発豊後竹田行748レ キハ58+キハ65+キハ58+キハ40 豊後竹田発大分行747D 豊肥本線中判田 S60(1985)/3/6 69695〔熊〕 熊本発大分行795レ C58224〔大〕 大分発豊後竹田行746レ 豊肥本線滝尾 S45(1970)/9/12 69699〔熊〕 熊本発大分行795…
南国では見ることが無くて憧れていた積雪の景色とオホーツク海流氷の様子を見たくて道東の地を訪れる。網走番外地から石北本線旅の始まりの僅かな時の構内風景を懐かしむ。 網走駅本屋寄りホームから石北本線上り遠軽方を見る。腕木式の出発信号機が3基構え…
■栗野 矢岳越えした肥薩線は一気に標高を下げ、鹿児島県に入ると吉松から栗野にかけて霧島連山西側の盆地を走る。全検上がりのような綺麗なC5510〔吉〕が上り貨物列車を牽いて姿を現す。 892レ 肥薩線栗野~大隅横川 撮影時、吉松機関区には5輛(10・26・27・…
「鉄道ジャーナル昭和44年9月号」は西武鉄道のE851電気機関車が表紙を飾っている。この表紙と連動して記憶しているのがD50・D60の記事で、久大本線の事を調べる際はこの表紙の本に手が伸びるくらいに当時の記憶が未だに継承されている。筑豊本線と久大本線の…
深夜、旭川駅の電光時計は23:38を指している。この時間で乗車できる列車は宗谷本線方面では札幌発稚内行“利尻”23:50着0:20発、石北本線方面では札幌発網走行“大雪5号”0:57着1:02発のいずれも旅情あふれる夜行列車である。「今は走る汽車にこの身をあずけて♪…
当時の札幌市は人口約120万人の大都市で、その玄関口の札幌駅は鉄筋5階建の威容を誇っていた。駅前に出て儀礼的に撮った唯1枚のスナップは遠いあの時代の良き思い出となった。 札幌 S49(1974)/9/16 「弘済会の道内時刻表」の札幌駅案内図。国鉄バスのりばの…
別府駅は日豊本線ではあるが、豊肥本線・久大本線の急行や普通の始発終着駅でもあって列車密度は高く、次から次へと特急・急行・普通の電車や気動車が入っては出て行く、忙しくそして賑やかな駅である。中線2線は熊クマと分オイの12系6連2編成が置かれ、高架…
「西唐津」と「東唐津」は行きたい所ではあったが、非電化時代を見ることはかなわなかった。松浦川対岸に位置したかつての東唐津は「ヒカラ」3文字の標記が珍しい気動車区が置かれ、唐津湾に面した西唐津には煉瓦の3線矩形庫のあるキュウロクの基地があった…
昭和50年代に見ていたテレビ番組「ザ・ベストテン」は週ごとの楽曲のランキングをフラップ式の表示板がパタパタと音を立てて回転させていたのが印象的で、まるで駅の列車表示機を見るようであったのを思い出す。 新幹線ホームから在来線乗換口に向かうと、新…
雪の舞う札幌駅は降り続いた雪がホームの端にうず高く積まれていた。雪をかぶった車輛はいつもとはちがった表情でとても新鮮に思えた。列車を待つ間のわずかな時間、初めて経験する雪景色に興奮しながら構内をスナップした。 札幌 撮影は全て:S55(1980)/3/18…
民営化後も何度か幸崎を訪れていた。国鉄時代と変わらないタンク車の貨物列車、濃硫酸のタンク車ヤード等かつてと変わりない光景に安堵する。カラーネガはカビがはり付いて完全な除去は不可能のようで、ここまで復活するのに苦労した。 日豊本線幸崎 S62(198…
夕方のラッシュが始まる京浜東北線の大井町駅。国電の駅風景は私鉄沿線とはまたちがった雰囲気がある。北行は「大宮」、南行は「大船」を掲げたスカイブルーの103系が並んでいた。複々線の線路を跨ぐ陸橋を支える煉瓦積みの橋台や掘割の壁の造りは歴史の重み…
門司(操)からの貨物列車が幡生(操)へと下関構内を通過する。関門専用の機関車はEF302〔門〕+EF3015〔門〕の重連であった。下関は3面6線のホームで番線表示は3番から9番まで振られ、旅客線外側に下り貨物線1番線、上り貨物線10番線が通っていた。一番右は下…
昭和37年の秋から翌38年春までの約半年間、小学校1年生であった私は学校へ通うのに汽車に乗らなければならなかった。学年途中で家を転居したが転校手続きができなかったので以前の学校まで3駅間の汽車通学となった。朝の登校は小野屋駅から庄内駅まで、下校…
北陸本線富山駅は富山地方鉄道新富山へ行くのに立寄った時、魚津駅は富山地方鉄道本線から北陸本線に乗換える時、それぞれわずかな時間に偶然出会った列車を撮ったものである。毎度後になって思うことであるが、車輛だけにしかカメラを向けていないので駅構…
蒸機の時代、冷水峠へ向かうためこの駅に降り立ってから20年以上経過していた。夜明前の乗換えであったので構内の写真は撮っていない。転車台があるうちに再訪したいと思いつつ時は流れて平成の時代になっていた。 訪問時は昭和50年代末期頃の配線と大きな変…
東別府は別府扇状地の南端に位置し、別府湾に面したなだらかな丘陵の背後に鶴見岳がそびえている。東別府を発車した客車列車の後追いにうっすらと雪化粧した鶴見岳が顔を見せていた。 522レ 東別府 S59(1984)/1 別府のシンボル「鶴見岳」が扇状地に広がる別…
私が汽車の写真を撮りに大分駅へ通った昭和44年頃は、第4ホーム(6・7番)から南口にかけて長い跨線橋が健在であった。本屋側ホームから第4ホームまでは地下道が整備されて、駅表側は近代的な、「裏駅」と呼ばれていた南側は蒸機時代然とした印象があった。 跨…
小倉駅はかつて現在の西小倉駅のところにあった。鹿児島・日豊両本線の列車が相互折返しができる配線に改められ昭和33年3月に現在地に移転した経緯がある。筑豊へ、門司港へ、日田彦山線へ、本州方面への乗換え待合せ時間で列車を撮っていたので時系列でふり…
EF651000番台とはこの時が初対面であった。九州ブルートレインは専ら東京機関区の受持ちと思っていたが、撮影時は下関運転所のEF65500番台、1000番台ともに東京組と共に運用されていたようだ。EF651050〔関〕が20系“あさかぜ51号”を牽いて6番線に入って来た…